0001きつねうどん ★2022/10/14(金) 14:05:39.92ID:CAP_USER
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蒙古襲来絵詞 出典 竹崎季長(自筆の可能性あり) 絵師:(伝)土佐長隆・土佐長章 - 『蒙古襲来絵詞』(宮内庁所管御物 三の丸尚蔵館蔵) [Public domain], via Wikimedia Commons
この1000年間ずっと日本が加害者だったのか?
「加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わらない」
2013年に朴槿恵(パク・クネ)大統領が、3.1独立運動記念日で行った演説の一節である。
これまでの大統領たちと比べてかなり強い言葉で、日本による過去の支配を非難した。それが両国で大きな話題にもなっている。
当時は、慰安婦問題を解決済みとする日本側と、さらなる譲歩を求める韓国側との溝は埋まらず、交渉が行き詰まっていた。
被害者の立場をことさら強調して日本に譲歩を迫り、今後の交渉を有利にしようという意図があったようである。
加害者は1000年も反省を続け、被害者に謝罪と譲歩しなければならない…。ということだろう。けど、この1000年間ずっと日本だけが加害者だったのか。
歴史をさかのぼってみると、朝鮮半島の軍勢が日本を侵略したこともある。
朝鮮軍に蹂躙(じゅうりん)された日本領内では、数々の残虐行為が行われた。それは韓国側が主張する日本支配時代の蛮行が生易しく感じるものだった。
高麗王は日本侵攻に大乗り気
ユーラシア大陸の大半を支配化に置く元帝国は、日本にも朝貢を迫ってきた。が、鎌倉幕府は拒絶。その結果、1274年と1281年の2度にわたり元帝国の大軍が博多湾に襲来、文永・弘安の役が起きている。
この戦いには、すでに元の属国となっていた朝鮮半島の高麗からも大量の軍船や兵士が動員された。
1274年の文永の役では、元軍の総兵力約4万人と推定のうち、高麗軍は水夫を含めて1万3000~1万4000人。軍船や兵糧など多くの支援も行っている。
また、弘安の役でも、先陣を切って博多湾に来襲した東路軍は、その半数近い数を高麗の兵士や水夫が占めていた。
侵略してきた軍勢の主力は高麗軍。しかし、歴史に詳しい韓国人にこの話をすると、「属国として支配された状況では元に逆らえず、命令で仕方なく従って参戦した」
と、必ずこんな言い訳が聞かれる。
しかし、「高麗史」には、高麗の忠烈王が元皇帝フビライに、日本を軍事攻撃して属国とするようあおり、自ら先鋒を志願する記述が見つかる。
また、1度目の日本侵攻に失敗した後にも「もう1度、日本を攻めましょう」とも発言している。
蒙古襲来絵詞 出典 竹崎季長(自筆の可能性あり) 絵師:(伝)土佐長隆・土佐長章 - 『蒙古襲来絵詞』(宮内庁所管御物 三の丸尚蔵館蔵) [Public domain], via Wikimedia Commons
この1000年間ずっと日本が加害者だったのか?
「加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わらない」
2013年に朴槿恵(パク・クネ)大統領が、3.1独立運動記念日で行った演説の一節である。
これまでの大統領たちと比べてかなり強い言葉で、日本による過去の支配を非難した。それが両国で大きな話題にもなっている。
当時は、慰安婦問題を解決済みとする日本側と、さらなる譲歩を求める韓国側との溝は埋まらず、交渉が行き詰まっていた。
被害者の立場をことさら強調して日本に譲歩を迫り、今後の交渉を有利にしようという意図があったようである。
加害者は1000年も反省を続け、被害者に謝罪と譲歩しなければならない…。ということだろう。けど、この1000年間ずっと日本だけが加害者だったのか。
歴史をさかのぼってみると、朝鮮半島の軍勢が日本を侵略したこともある。
朝鮮軍に蹂躙(じゅうりん)された日本領内では、数々の残虐行為が行われた。それは韓国側が主張する日本支配時代の蛮行が生易しく感じるものだった。
高麗王は日本侵攻に大乗り気
ユーラシア大陸の大半を支配化に置く元帝国は、日本にも朝貢を迫ってきた。が、鎌倉幕府は拒絶。その結果、1274年と1281年の2度にわたり元帝国の大軍が博多湾に襲来、文永・弘安の役が起きている。
この戦いには、すでに元の属国となっていた朝鮮半島の高麗からも大量の軍船や兵士が動員された。
1274年の文永の役では、元軍の総兵力約4万人と推定のうち、高麗軍は水夫を含めて1万3000~1万4000人。軍船や兵糧など多くの支援も行っている。
また、弘安の役でも、先陣を切って博多湾に来襲した東路軍は、その半数近い数を高麗の兵士や水夫が占めていた。
侵略してきた軍勢の主力は高麗軍。しかし、歴史に詳しい韓国人にこの話をすると、「属国として支配された状況では元に逆らえず、命令で仕方なく従って参戦した」
と、必ずこんな言い訳が聞かれる。
しかし、「高麗史」には、高麗の忠烈王が元皇帝フビライに、日本を軍事攻撃して属国とするようあおり、自ら先鋒を志願する記述が見つかる。
また、1度目の日本侵攻に失敗した後にも「もう1度、日本を攻めましょう」とも発言している。