「社会科の先生に2人でなろう」お茶の水が解放区に 重信房子と遠山美枝子(2) 佐世保・王子・三里塚…続く闘い【江刺昭子氏】 [少考さん★]
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2022/08/11(木) 11:29:11.58ID:XRHO1Eo99
※47NEWS/共同通信

「社会科の先生に2人でなろう」お茶の水が解放区に 重信房子と遠山美枝子(2) 佐世保・王子・三里塚…続く闘い
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2022/8/11 07:00 (JST)
8/11 09:12 (JST)updated

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遠山美枝子さん。サークルの合宿で

 オランダ・ハーグ事件などによる懲役20年の刑を終え、日本赤軍の元最高幹部、重信房子が出所してから1週間後の6月4日、東京・お茶の水の居酒屋で「重信房子さんを歓迎する宴」が開かれた。主催は公判や獄中生活を支援してきた明大土曜会である。(敬称略、女性史研究者=江刺昭子)
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 パレスチナにたったときから50年の空白がなかったかのように、彼女は自然体で元学友たちの中に溶けこんでいく。このしなやかさが、命の危険と隣り合わせの革命運動や、4度もがんを患いながら獄中生活を生き抜いた原動力なのだろう。「生きて出てきました」とあいさつし「大学時代は、楽しいことと、社会を良くしたいということが一致して、本当に楽しかった」と振り返った。


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「歓迎する宴」での重信房子さん 

(略)

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成田空港反対運動では地元農家に泊まって援農。後列左端が遠山美枝子さん、右が重信房子さん

 成田空港建設予定地の三里塚では、反対運動をしている地元農家に泊まって、学習会をしながら農業の手伝いもした。
 68年3月に全学連が反対同盟を支援する1万人近いデモ隊を組み、空港公団公社に突っ込む。このとき武器を用意するよう頼まれた重信と遠山は、社会人を装って、金網を切るための道具をコートの下に隠して成田まで運んでいる。
 王子の野戦病院反対集会では、ジグザグデモに機動隊が襲いかかってきて、路地に逃げこんだら、近くの民家の人が庭にかくまってくれた。「こんなところにベトナムからの傷病兵を連れ込む病院なんてまっぴらゴメンだわ。学生さんたち、がんばってね」と励まされたという。
 闘う学生たちをメディアは「暴徒」と決めつけたが、市民は好意的で、カンパを募るとヘルメットに千円札がポンポン投げ込まれた。悲惨な戦争を体験した大人たちが、学生の純粋な行動に共感したのだろう。
 外国でもスチューデントパワーが爆発し、68年5月、フランスで5月革命が起きる。ド・ゴール体制に反対する学生や労働者が機動隊と闘って、パリのカルティエラタンを解放区にした。

日本でもやろうと、6月21日、中央大で開かれていた全学連総決起集会の参加者と明治大の現思研メンバーに、昼間部の学生らも加わって、校舎から机と椅子を持ちだし道路をふさいだ。クラクションを鳴らす車を横道に誘導、あっという間に御茶ノ水駅から駿河台下までの明大通りを解放区にした。
 機動隊が駆けつけてバリケードを壊す。すると、また積み上げ、道の敷石をはがして投げつけ、やじ馬も混じって解放区の中でデモ行進をした。夕方のラッシュ時。御茶ノ水駅で1時間近く電車が止まり、約20万人の足が乱れたと、翌日の新聞が報じている。
 パリの5月革命は労働者のゼネストと結合してド・ゴール政権を追い詰めた。一方、神田カルティエラタンはこののち何回も行われるが、解放区の中で「インターナショナル」を歌いながらデモをするだけに終わっている。
 参加者たちの思い出を読むと解放感が伝わってくる。若者たちにとっては、祝祭のようなできごとだったのだろう。重信と遠山にとっても最も充実した時期だったようだ。
 しかし、生活の中心が政治闘争になっていくと、会社勤めと学業の両立が難しくなり、2人とも会社を辞め、アルバイトや奨学金で学費を得ながら活動を継続している。それでも学業はおろそかにせず、重信は教師になるという子どもの頃からの夢に向って教育実習にも行き、69年の卒業後は政経学部に学士入学している。
 遠山はどうだったのか。服役中の重信からの手紙には次のようにあった。
 ―遠山さんも「卒業は絶対してね。社会科の先生に2人でなろうよ」と話していました―
 2人はそれぞれ、どこでどのようにして、その道から外れて行ったのか。(続く)



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