尺管理のために仕方なかったんだという理由で納得するためには
カットする部分の取捨選択が適切でないといけないし
カットしてまで入れたアニオリ部分を最低限の尺に収めて且つ品質が高くないと納得できないんだが
これはそんな理由で説明できる改変とは思えないんだよなあ

原作は田右衛門がお人好し成分担当してて石丸生かすように土下座して嘆願する
田右衛門のキャラクター性としてもサクナの動機付けとしてもカットしちゃいけない場面だったと思うんだが
アニメだと散々使い古された一般的な「復讐の連鎖は良くない理論」に変更したから唐突だし共感されにくい

サクナが峠焼かれた後に立ち直る流れも情緒不安定すぎて怖い
大泣きした直後に笑顔で前向きな事言い始めるの理由が無さすぎて
マジで精神的に破綻した表現かと思ったんだけど爺からそういう指摘もなく感動BGMが流れ始める

この流れでの前向きな台詞って元々はサクナでなく田右衛門が言ってたんだけど
それもどん底状態の皆を無視してメンタル強者すぎること言ったために逆に顰蹙を買うっていう流れだったものを
アニメはサクナが一人で脈絡も段階もなく続けざまに正反対の事を言って
「よう言った」「成長した」みたいな雰囲気にしようとするから無理があるんだよな

元の田右衛門はここに限らずメンタル強者で皆の精神的な取りまとめ役 その代わり実技ポンコツという個性だった
例えば田植え歌の時もそうだしアニメでカットされた麦の盗み食い騒ぎの時もそう(ここのカット自体は妥当)
上記の土下座の場面ではサクナがドン引きして
「自分を大事にしろ」「おぬしが思ってるより皆は頼りにしてる」と言ってたりもする

これがアニメでは田植え歌以外カットか改変されて
実技はポンコツどころか石丸一刀両断してしまうんで誰おま感すごい

あとまーココロワがアニオリで謎の右往左往と避難してましたとか
兎が派手に切られたけど生きてましたとか かいまるが喋ったけど翌週即落ちで失語症に戻りましたとかも
話の整合性無視して引き作りたかっただけに見える 原作との整合性という話でもなく
アニメストーリー単体での整合性や一貫性を取ろうとしてないし尺の短縮にも寄与してない
結局「アニメなんてこんなもん」「他の糞アニメよりはマシ」という言い方しかできないわ