東スポ
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2022年06月05日 15時42分

 5月29日に急死したターザン後藤さん(本名・後藤政二=享年58)の葬儀が5日、都内でしめやかに営まれ、邪道・大仁田厚(64)がかつての盟友をしのんだ。

 葬儀には大仁田をはじめ田中将斗、リッキー・フジ、超電戦士バトレンジャー、ミス・モンゴル、キラー岩見、鍋野ゆき江ら旧FMW時代のプロレスラー仲間や関係者ら約150人が参列した。

 喪主の好江夫人によると、後藤さんは数年前から病気を患っていたという。闘病中も「次の興行は60歳の還暦でやる」と構想を練っていたが、志半ばで帰らぬ人に。好江さんは「本当に無念でなりません。ターザン後藤を応援してくださった皆さん、ありがとうございました。ターザン後藤は最後まで強い男でした」と感謝の言葉を述べた。

 葬儀では追悼の10カウントゴングが鳴らされた後に「赤コーナー、230ポンド、ターザン後藤!」とコールされ、往年の入場テーマ曲「汚れた英雄」が流された。

 ひつぎを運んだ大仁田は「感謝しかないですよ。7度目の引退(2017年10月)の時にお店(後藤さんが働いていた東京・押上の太楼ラーメン)を訪ねたけど、会ってもらえなかったのが悔やまれる。女房みたいな存在だったから。今の俺がいるものターザンのおかげですよ」と神妙に語った。

 1989年10月に旧FMWを旗揚げした大仁田が、三顧の礼で迎え入れたのが後藤さんだった。90年8月4日に東京・汐留で大仁田と後藤さん行った初の「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」は同年度のプロレス大賞「年間最高試合賞」にも選ばれた。

 大仁田は「誰も受けてくれなかった電流爆破でプロレス大賞を取った。あれが一番じゃないですか。電流爆破は自分たちが存在するため、生きるために生み出した。ターザンがいなかったら多分、電流爆破を生み出せなかった。信頼関係がなきゃできなかったから」と振り返る。

 だが、後藤さんとは95年に大仁田の2回目の引退試合を控える中でたもとを分かった。「俺はクビにしたつもりはないから。ボタンの掛け違いは恐ろしいよね」としつつ「これからのリングでターザンへの感謝を表現していくしかないんじゃないですか」と哀悼の意を表した。