ゲーム開発は当時上司だった横井軍平が「『ファミコン少年探偵団』というタイトルのゲームをつくる必要がある」と言い出し、
ある会社と一緒に開発をはじめることになったと言う。
開発当初、坂本は『中山美穂のトキメキハイスクール』(1987年)をしばらく担当していたが、
中山美穂が関与していたことやディスクファクスのネットワークを利用していたことなどから、
開発には問題があり坂本は、『ファミコン探偵倶楽部』の開発において、そのような不満を解消するように心がけた。
開発が本格的に始まる前に坂本はシナリオを本で書きスタッフと共有した。
シナリオはもともと”屍の村”というタイトルだったが、坂本は上司に提案を示した後、それを変更することにした。