プロローグとエピローグの世界は別物として描いてると思う
本来この世界にないケヴェスの調べを流すことで「世界が再生されたんだな」とプレーヤーに感じさせ、最後にアグヌスのおくりびとしか知らないはずの調べを流すことで「またノアとミオが会える世界になった」と感じさせるエンディングを描いたんじゃないかな