神余(かなまり)って所あるでしょう。
流罪になって房総開拓に送り込まれた人々、主に政治犯が主と言われている。もっと重罪の連中は佐渡や伊豆八丈島など。政治犯ってそんなに大層な事ではなくて、幕府やお上の批判したり悪口を大っぴらに言ってたんじゃないかな。そういうのって発達障害ASDの特徴に当てはまるんだよね。
開拓労働中だって人権なんてのはほぼないから飢えや怪我や病気で死んで行く。坊主は儲かるから集まって来る。余りにも無縁仏や寺が多いのでいつしか誰からともなく皮肉も込めて。「神さんが余ってるっぺ」として神余となった。
近親婚は交通の発達していない当時の僻地では当たり前に何処でもあったが房州に特に多いのはそういう事情で濃縮されていった。
労働力も欲しいが村の掟が守れない人間が増えるのも困る。七五三で見極めて篩にかける。それらが地蔵になる。

遺伝子情報っていうのは凄い仕組みだと思う。
恐ろしいというか素晴らしいというか。
障害者や老人福祉の問題。受容共生して行くのか排除して行くのか、人類としての大きな挑戦であり課題だと思う。
この先人類はどちらへ進んで行くと思いますか?