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戦後時代、武田信玄に「上杉謙信の塩」を届けた会社…令和時代の「驚きの姿」 [きつねうどん★]
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2022/07/04(月) 18:05:03.50ID:CAP_USER
困難を何度も乗り越えてきた「創業100年以上の企業」の数は、なんと日本が世界一。未曽有の経済危機に見舞われても揺らがない「本当に強い会社」には、どんな秘密があるのでしょうか? 本稿では、田宮寛之氏の著書『何があっても潰れない会社』(SBクリエイティブ)より、「株式会社吉字屋本店」について見ていきましょう。

逸話「敵に塩を送る」の立役者、株式会社吉字屋本店
1567年(永禄10)、名だたる武将たちが群雄割拠する戦国時代の最中、甲斐国(かいのくに)を治める武田信玄は天下統一を争う諸大名の筆頭格だった。

その信玄の南進政策を恐れた駿河の今川氏と相模の北条氏は、武田氏領地への塩の配送を絶ち、勢いに歯止めをかけようとした。これを「塩止め」と呼ぶが、その窮状を見かねて助け船を出したのが信玄の好敵手だった越後国の上杉謙信であった。

川中島で何度も戦った敵同士でありながら、謙信は信玄に越後の塩を提供しようと申し出た。謙信のほうにも、特産品である塩を有料で融通することで越後の経済を活性化させようという思惑があったのかもしれないが、この申し出により甲州が救われたことは事実だ。これが、よく知られている「敵に塩を送る」という言葉の由来となった逸話である。

この逸話に関わっているのが、現在、株式会社吉字屋(きちじや)本店(以下、吉字屋)を経営する髙野家の先祖・塩屋孫左衛門である。信玄に命じられ、孫左衛門は、この貴重な「義塩」を越後まで受け取りに行った。

その功績により、孫左衛門は、当時の甲斐国の通貨甲州金「露壱両(つゆいちりょう)金」の刻印である「吉」の字を屋号とすることを信玄から許された。こうして「吉字屋」が誕生することとなった。



[図表1]武田信玄の時代に作られた甲州金「露壱両金」。「吉」の字が刻まれている 出所:田宮寛之著『何があっても潰れない会社』(SBクリエイティブ)
日本随一の強さを誇った甲斐国の弱みは、周囲を海に囲まれていないために自国内で塩を生産できないことだった。そのため、おそらく危機管理という意味で塩の卸業に携わる人々が存在し、その中に塩屋孫左衛門がいたということだろう。

公には1568年(永禄11)創業とされているが、それ以前から塩の業務に携わっていたと考えられる。

現在は、石油製品を主商材とする「100年企業」
時は流れて、現在の吉字屋の主商材は石油製品だ。創業以来、塩を扱ってきた吉字屋が油(灯火油・食用油)を扱い始めたのは、おそらく江戸中期(嘉永7年版『甲府買物獨案内(こうふかいものひとりあんない)』掲載)といわれている。さらに時代は江戸から明治に移り変わり、塩が専売法の対象になったこと、そして石油ランプの普及によって灯油の需要が高まったことを機に、吉字屋は本格的に塩から油へと商材を転換していく。

明治、大正、昭和の初期にかけて、我が国における石油の輸入は外国企業のライジングサン石油とスタンダード石油を通して行われていた。1893年(明治26)、財界人の浅野総一郎はライジングサン石油のオーナー会社・サミュエル商会と契約し、横浜に油槽所(ガソリンなどを一旦貯蔵し、タンクローリーに積み込む機能を持った施設)を建設。

つづき
https://gentosha-go.com/articles/-/43911
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2022/07/04(月) 19:16:39.65ID:pAljEzhh
塩を買うのを黙認したのだと思ってたんだが
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2022/07/04(月) 20:26:45.95ID:WsXx3z/p
戦後時代www
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2022/07/04(月) 22:31:54.79ID:oEIYPAe7
×戦後
○戦国
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2022/07/04(月) 23:12:49.22ID:asXK+fQ/
【日経平均「年内3万円超」の可能性は十分にある】 SpvNdCBGs32048
[出所] Google検索 安崎投資研究所
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