0001きつねうどん ★
2023/04/01(土) 17:57:23.33ID:qMp/7MUuby Kelly Michals
核兵器を厳重に管理しているアメリカですが、紛失を含む核兵器の偶発的な事故である「ブロークンアロー」は1950年から1980年の間だけで32件報告されています。しかも、失われた核兵器のうち6つは2023年に至っても回収されておらず、最も古いものは70年以上にわたって行方知れずのままとなっています。
◆事故1:1950年2月13日
海外誌のThe National Interestがまとめた6つの核兵器紛失事件の中で最も古いものは、1950年2月13日に発生した事件です。この日、アメリカ空軍の戦略爆撃機B-36は模擬的な核攻撃の訓練を行うためアラスカ州のアイルソン空軍基地からテキサス州のカーズウェル空軍基地に向かっていましたが、太平洋を飛行中にエンジントラブルに見舞われてしまいます。
核兵器を積んだまま墜落することへの懸念から、運搬中だった破壊力30キロトンのファットマン型原子爆弾「Mark 4」は洋上に投棄され、記事作成時点でも行方が分かっていません。公式の報告によると、爆弾には核爆発に必要なプルトニウムのコアが搭載されていなかったとのことですが、相当量のウランが詰まっていたとされています。
◆事故2:1956年3月10日
この事故では、フロリダ州にあるマックディール基地からモロッコのベン・ゲリール基地に向かう途中だったB-47爆撃機が地中海に墜落し、核爆弾2つが失われました。B-47は2回の空中給油のうち最初の1回は問題なく完了したものの、2回目の空中給油の際に空中で爆発し乗組員3人は全員死亡しました。
正確な情報は明かされていませんが、B-47は通常重さ3400kgの核爆弾であるMark 15を搭載していたとされています。事故後、徹底的な調査が行われましたが、機体や核爆弾の残骸は見つかっていません。
◆事故3:1958年2月5日
この事故は、ジョージア州南東部の都市サバンナ近郊で模擬戦闘を行っていたB-47爆撃機がF-86戦闘機と衝突したもの。事故により高度が急落した爆撃機は、重量を減らし、緊急着陸の際の爆発から乗組員を守るために核爆弾を投棄する許可を要請。承認を得てサバンナ川河口付近のワッソー海峡に投下されたMark 15は、数回の捜索が行われたものの発見されませんでした。
なお、爆弾を投棄した爆撃機はその後最寄りの基地に帰還することに成功し、この功績によりパイロットのハワード・リチャードソン大佐は殊勲飛行十字章を授与されています。また、爆撃機と衝突した戦闘機は墜落してしまいましたが、パイロットは脱出に成功して生還したため、奇跡的に衝突による人的被害はありませんでした。
◆事故4:1961年1月24日
ノースカロライナ州ゴールズボロで発生したこの事故は、1961年ゴールズボロ空軍機事故として記録されています。離陸直後に墜落したB-52爆撃機が搭載していた2発の核爆弾Mark 39のうち1つは、落下傘が木に引っかかったおかげで無事に発見されましたが、4つの起爆機構のうち3つが作動していたことから、危うく大惨事になるところだったとのこと。
2発のうちもう1発は泥田の中に埋まってしまい、その後の掘削作業でウランとプルトニウムのコアは回収されたものの、爆弾の大部分はそのまま地中に残されました。そのため、アメリカ軍は苦肉の策として落下地点を中心とした直径400フィート(約120メートル)の土地の地役権を購入し、付近を掘削を禁止する措置を講じました。