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578 名無し草[sage] 2022/02/24(木) 16:08:13.79 ID:
569
 それで引退を決意し、後楽園アイスパレスからの帰り道、水道橋駅へ向かう橋の上から、スケート靴を神田川に投げ捨ててしまったのです」

 それから城田さんは、「人生はいろいろ」とばかり、ゴルフやテニスに打ち込んで、卒業と同時に結婚。そのまま家庭に入られました。

 ところが、新居に引っ越してまもなく、城田さんをスケートの世界へ引き戻す運命的な出会いがありました。

 同じマンションに、彼女の引退を引きとめようとした先輩が住んでいたのです。その方のすすめで、三笠宮崇仁親王のアイスダンスのお相手となり、リンクに通ううちに、連盟の一員になるよう声をかけられました。こうして、いつのまにかスケートの世界に戻ったのです。

 しばらくは主婦業中心で、無理のない範囲で活動しましたが、1978年3月、天才少女・伊藤みどり選手との出会いによって、日本人が世界の頂点に立てるかもしれないと夢を抱くようになりました。

「1992年のアルベールビル五輪に向けて、『伊籐みどりプロジェクト』10年計画が始まりました。全種類のジャンプが飛べるのはもちろんですが、メダルを取るには日本を売り込むロビー活動も必須なのです。

 当時、フィギュアスケートの国際大会は、いま以上に華やかな社交の場でした。みどりにドレスを贈り、テーブルマナーを教えてデビューさせたのです。ジャッジやISU(国際スケート連盟)の幹部に、彼女のジャンプはすごいという予備知識を持ってもらうことに成功しました」

 アジアでいち早く国際大会を誘致して、日本スケート連盟の力を世界に認めさせたいという思いから、NHK杯 国際フィギュアスケート競技大会が1979年に創設されました。連盟の力を認めてもらうことで、選手を世界に見せるチャンス、売り出すチャンスがめぐってくるのです。