>>611
おい嘘つきくんシッタカーするなよ

【第104回】玉城知事誕生。翁長雄志について考えた
斎藤美奈子
〈(翁長が)自民党と距離を置き始めたきっかけは、2007年の教科書検定問題だった。
高校歴史教科書で沖縄の「集団自決」(強制集団死)の「日本軍に強いられた」などの文言を削除・修正する検定意見が出た時、検定意見撤回を求める県民大会の実行委員会に加わった。
「ウチナーの先祖があれほどつらい目に遭った歴史の事実が無かったことにされるのか」と憤った〉(「評伝翁長知事 沖縄の自己決定権求めて」18年8月9日琉球新報朝刊)。
もっとも、このときの県民大会には当時の仲井真知事も参加し、〈県民を代表する者として、今回の文科省の検定意見に対して強く抗議し、
遺憾の意を表明するとともに、検定意見が速やかに撤回され、記述の復活がなされることを強く要望する〉と述べている。
歴史認識がからむ教科書問題などに関しては、沖縄の意志はもともとひとつだったのかもしれない
しかし、那覇市長時代の翁長は、しだいに反政府、反基地の旗幟を鮮明にしていく。
10年、二期目を狙う仲井真知事の選挙で選対本部長を務め、公約に「普天間飛行場の県外移設」を入れさせたのも翁長だった。
さらに二年後、普天間飛行場へのオスプレイ配備計画が浮上する。基地に対する翁長の姿勢が固まったのはこの頃だったのではないか。
その証拠に、沖縄県市長会会長(那覇市長)としての翁長の発言も先鋭化していくのだ。
〈知事や各首長、各議会、県選出国会議員全ての反対を押し切って強行配備をしようとする日米両政府のやり方は、
戦後の銃剣とブルドーザーで土地を強制接収したのと、何ら変わらない構図で今日まで継続している〉(12年9月9日。オスプレイ配備に反対する県民大会で)。
〈沖縄県民は目覚めた。もう元には戻らない〉
〈沖縄県民の意識は大きく変わった。基地を挟んで保革がいがみ合うのではなく、オール沖縄で基地の整理縮小を強く訴えている〉(13年1月27日。オスプレイの配備撤回を求める東京集会で)。
http://www.webchikuma.jp/articles/-/1575