大和倭国では、追い詰められた平民農民たちは武装し命賭けで圧政に抵抗するしかなかった
室町時代から武家支配圧力に対抗する「国一揆」や農民の政治的要求による「土一揆」が発生し
戦国時代になると僧侶たちと一般信徒たちが武装し「一向一揆」として織田信長など戦国大名と激烈な闘争を繰り返すほどだった
江戸時代には、
「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり(神尾春央)」
「郷村の百姓共は死なぬ様に、生きぬ様に(徳川家康)」と言われたほどで
領民への過酷な年貢負担とキリシタン弾圧により、日本史上最大規模の一揆となった「島原の乱(1637年)」も発生し
幕末、明治初期に至るまで圧政による農民一揆や打ちこわしが各地で頻繁に発生した。
琉球王国の長い歴史の中では暴力的な農民一揆や打ちこわしが発生してない
実際には王国時代の宮古島では毛遊びの「クイチャー」が継承され酒宴の席では「オトーリ」の風習が残るほど余裕があった。
逆に明治時代の琉球処分(1879年3月)と沖縄県政への反乱として発生したのが宮古島の「サンシー事件(1879年7月)」である
沖縄県知事の玉城デニー氏を語ろう
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714名無しさん
2019/11/18(月) 18:15:06.97ID:8ZOQsz5b■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています