琉球王国の歴史其の13
沖縄学の父といわれる伊波普猷は、
「汝の立つところを深く掘れ、そこには泉あり」という。
ドイツのニーチェの言葉を引用して、沖縄の歴史や文化を学ぶことの大切さを説いた。
琉球・沖縄史を学ぶ目的は、たんに先祖のあるんできた足跡をしることではない。
【琉球史は日本史にとって外国史の研究】である。
先人の経験を学ぶことともに、日本、アジア、そして世界の歴史をみる目を養ってほしい。
※前スレ
https://rosie.2ch.net/test/read.cgi/okinawa/1554978688/ >>288
>戦前の首里城写真は哀れなほど日本人の琉球文化蔑視が表れてる、
歴史オンチの低能馬鹿パヨクは知らないだろうが、日本本土の城も
保存命令が出たのは名古屋城と姫路城だけで、あとの大半は廃城となって
潰されるか、朽ち果てた。城は武士封建制のシンボルだったからな。
市民平等社会にとっては相応しくない、という革命政府らしい判断だ。
今でも残っている城は、朽ち果てていたのを各地の篤志家が復興したものが
ほとんどだ。
しかし、沖縄だけは明治政府によって多くの文化財が守られて、壊されることは
なかった。現在の共産シナなんて、文革でほぼすべての文化財と四千年のシナ文化が
破壊されて、世界最悪の拝金主義と凶悪な軍事侵略主義と自然破壊主義しか
残っていない。沖縄が共産シナの手に落ちたら、まっ先に行われるのが御獄の爆破と
ノロ・ユタ・僧侶の公開処刑だな。 >>288
名古屋城なんて潰して旧武士の手当てに回そうとしたんだぞ?
徳川がな
それをドイツ人と日本に軍人が直訴して辞めさせた
首里にそんなちょっといい話あるか? >>286
琉球語では 百浦襲い をももうらおそい とは言わない
浦襲いも琉球語では(うらおそい)とは言わない
浦添も(うらそえ)とは言わない >>293
ナイチャーは沖縄人を蔑んでる一方中世琉球の文化遺跡を九州人が造った事にしたくて
捏造書き込む、だから為朝が琉球原住民を成敗して琉球王になった馬鹿話拡散で舞台は浦添
当時の鎌倉の城は土塁城壁で琉球文化とは全く違ってた。九州の隣は半島で遥か海の彼方
の異国が琉球だった 沖縄にナイチャー移住者が増えてるけど
ナイチャーのファッションとか雰囲気が生理的に無理
男も女もベレー帽にフカフカのズボン
なんか奇妙だよ
基地のアメリカ人ファミリーのほうがまだセンス良い >>295
無能で怠惰で、
日本政府に「振興費クレクレ乞食」するしか能がない沖縄ゴキブリは、
内地の人間に対して【劣等感のカタマリ】という事だけはよく分かるよ ナイチャーは那覇で遊んだりステイしてくれ、北谷や読谷にステイするな扁平顔が目立つ
那覇が中国や大阪みたいになって地元民が寄り付かなくなってる >>297
まず、赤松大尉の遺族に対してデニーと渡嘉敷村村長が謝罪して
不正に得た援助金を返還すべき
いつまで渡嘉敷村役場が捏造したウソ歴史で
日本政府から援助金を盗んで、赤松大尉を鬼畜に仕立て上げて
いるんだ????????
渡嘉敷島で亡くなった329名の大半が、米軍の砲撃によるものだ。
沖縄の非戦闘員10万人を殺戮した米軍を沖縄出身の徳田球一は
「救世主だ!」と呼んだが、沖縄ゴキブリはまだその感覚から
覚めていないのか??????? >>297
これ沖縄人も悪いと思う
歴史を無視して
日本文化に洗脳された結果
ナイチ系に占領されてしまった 徳田球一って大和人だらけの組織で独裁者やってたんだからすごいな
よっぽど人望があったのか >>299
ナチャーが沖縄定着し沖縄人の子孫を残すことは無い。沖縄に定着した日本文化はテコンドー
が極稀れ ハロウイン JポップKポップ クリスマス 初詣コンビニ仏教 古い唱歌〔海外民謡〕
ぐらい、いいものは良い便利なものは良い。ところで日本文化=朝鮮文化=アメリカ文化で
日本歴史や文化自慢されても福生や青森の人ですか >>293 それは架空の琉球語かな?
浦々を取り締まり交易権を掌握する長としての「島子」。
「浦添」の語源は「浦襲い」で、
「海を支配する所」という意味があり、
浦添城は舜天・英祖・察度といった琉球王の居城だった(中山中心説)。
首里城の正殿は「百浦襲(もんだすい)」と呼ばれた。
百浦…つまり「数知れぬ浦々を支配する王の居処」である。 おきなわ(阿児奈波)の歴史
ちなみに9世紀頃までは文字も持たず魚を獲って暮らし貝殻を集めて交易する
正に未開の民族であった。こんな感じ
https://i.imgur.com/BiCPm9Q.jpg
ただし貝殻などの交易は古く実に紀元前から行われており
海洋系古代民族としては先島、沖縄、奄美、隼人と近縁または同種、類種の
民族では無かったかと推測される。ちなみに南九州の隼人が朝廷に完全に
服属するのは8世紀以降の事である。
さて朝廷から化外の地と見られて来た奄美以南、あるいは出先機関としての
喜界であるが、
大和の古代社会から中世社会へと向かう動乱期、中央からの統制が緩むと共に
東シナ海沿海の交易が活発となり、それまで忘れ去られていた貝殻の島々、
南島にも文化、言語や宗教が稲作と共に徐々に持ち込まれる事になる。
11世紀〜13世紀 グスク・按司時代初期を迎えようやく奄美・沖縄社会に
変化が訪れる。この頃に北方系人種が流入しており南島人種と混血した形跡がある。
この北方系人種は大和からの流れ落ち武者、武装海商(のちの倭寇、松浦党)等では
無いかと考えられている。ちなみにグスク・按司時代後期には
高麗陶工も移住または拉致されて来たようだが数的には僅かである。 14世紀 グスク・按司時代後期 漸く沖縄に国らしきものが形成され、
当時の大明国様に朝貢し貿易を始める(三山時代) 歴史学上、沖縄の地が
琉球と呼ばれるようになるのはこの時が出発点である。
15世紀 南山佐敷按司の下剋上尚巴志が中山を簒奪、北山、南山を滅ぼし琉球を統一する。
ちなみに尚巴志の係累を辿ると伊平屋島と言う伝承がある。
中山(首里)にとっては聖地の一つであるが伊平屋島はかつて北山の領域だった。
16世紀 尚巴志王統が盛んに奄美に侵攻、支配下に置く。首里でクーデターが置き、
尚巴志王統は尽く亡ぼされ尚円が推戴され王位に就く。尚円は伊是名島の
出身とされているが定かではなく、また伊是名島も首里中山にとっての聖地であるが
やはりかつては北山の領域であった。 >>304 は訂正。取消
14世紀 グスク・按司時代後期 漸く沖縄に国らしきものが形成され、
当時の大明国様に朝貢し貿易を始める(三山時代) 歴史学上、沖縄の地が
琉球と呼ばれるようになるのはこの時が出発点である。
15世紀 南山佐敷按司の下剋上尚巴志が中山を簒奪、北山、南山を滅ぼし琉球を統一する。
ちなみに尚巴志の係累を辿ると伊平屋島と言う伝承がある。
中山(首里)にとっては聖地の一つであるが伊平屋島はかつて北山の領域だった。
尚巴志王統が盛んに奄美に侵攻、支配下に置く。首里でクーデターが置き、
尚巴志王統は尽く亡ぼされ尚円が推戴され王位に就く。尚円は伊是名島の
出身とされているが定かではなく、また伊是名島も首里中山にとっての聖地であるが
やはりかつては北山の領域であった。 16世紀 尚円王統が久米島、先島にも侵攻、制圧し支配下に置く。
奄美の反乱が激しくなり何回も遠征軍を派遣し討伐する。
いっぽう、鎌倉、室町、南北朝、戦国を経て世界有数の軍事国家となっていた
北の大国日本の圧力が琉球に及び始める。朝鮮征伐。
17世紀 関ヶ原のあと、鬼薩摩にあっけなく攻め入られて首里開城。
薩摩の附庸国(属国)となる。
18世紀 羽地朝秀、蔡温の改革。琉球版の中世社会から近世社会への移行である。
現代に伝わっている琉球風文化の多くがこの時期に形成された。
19世紀 琉球処分、日本に併合 >>308
薩摩の琉球征伐・日本政府の沖縄処分でも、
琉球士族の抵抗は皆無で、琉球は自ら恭順し、首里城と尚王を明け渡した >>300
>徳田球一って大和人だらけの組織で独裁者やってたんだからすごいな
戦前18年も獄中にいたからな。暴力団と同じで「どれだけ獄中にいて、
つらい目にあったのか」が、カルト共産党内では、出世の重要なポイント
だからDQN日本共産党員は、箔をつけるためハッタリも多かった。
宮顕は二言目には「俺は網走帰りだ」と自慢していたが、宮顕の裁判は長引い
たので昭和9年に共産党中央委員の小畑達夫リンチ殺人(要するに内ゲバ殺人)
と死体遺棄で逮捕されてから11年間は東京巣鴨の拘置所にいた。有罪刑が確定
して網走に送られたのは昭和20年の6月で、北海道の気候のいい夏の3か月を
網走で過ごしただけ。 >>311
琉球側が首里城で防戦して、戦って降伏なら分かるけど
数千もいる琉球士族は、首里城に逃げ込んだまま腰が抜けて何もできず、
数ではるかに劣る薩摩軍や日本軍相手にヘイコラと土下座して、
すぐに尚王と首里城を差出して自己保身を図ったんだから、恭順だなwwwwwwwww
まあ【卑屈な事大主義】を体現しているクズ琉球士族らしいな(嘲笑
日本の侍とは正反対だ。琉球士族に武士道なんてカケラもない。
同じ民族なのに、ここまで【卑屈な事大主義】が琉球人の心身に沁みついて
別人種みたいなのは、数百年に亘る三跪九叩頭の卑屈な悪癖が原因だろうな。
『琉球の恥部」の三跪九叩頭を、なんと翁長ヅラ男がまた復活するんだから
そりゃアマミキヨも余りの卑屈さに怒って、土下座会場を焼き払うよね。 首里を焼き払われるよりましだろ 武器らしい武器無かったんだから 日本政府が「沖縄は日本固有の領土」と主張したら、それこそ世界の笑いものになるだろう。
なぜなら日本政府は141年前の1879年3月27日に沖縄の前身である琉球王国に軍隊を派遣して琉球王国の首都だった首里城を取り囲んで武力的威嚇のもと併合したという歴史的事実があるから。
武力併合しておいて、その併合した地域を「我が国固有の領土」と主張すると、例えば、どこかの国が日本を武力併合したら、その瞬間から、その国は「日本は我が国固有の領土」とも言えることになり、日本政府はその国の主張に反論できなくなる。
だから日本政府は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。 >>314
>武器らしい武器無かったんだから
16世紀に奄美大島を軍事侵略して支配し、
奄美大島で頻発した反乱に、1570年には尚王自ら鎮圧に親征している。
琉球王国は周辺の島々への侵略に熱心な悪辣な侵略国家だった。
侵略国家に武器がない訳もなく、またこれも見え透いたウソだぜwwwwwwwww
>>315
>武力併合しておいて、
日本軍の兵員はわずか300人だったのに対して、
数千人もいた琉球士族は全く抵抗せずにヘコヘコと土下座して
日本軍を向かい入れて、首里城と尚王を差出したから
武力併合ではなく琉球側による恭順だな。
日本軍は進駐しただけ。 まぁ位置からして沖縄の島々が薩摩の支配下に入ったのは避けられなかっただろうが明や清と交易して王朝建ててたから独自性は守られたよね >>317
>明や清と交易して
交易じゃなくて、朝貢だけどな。
自尊心のないゴキブリ土人らしく、朝貢品を差出して、
ひたすら額を床に叩きつけて、額で音を鳴らして、土下座していただけwwwwwwwwwwww
中山王の朝貢品が余りに貧相なので、明宮廷内では笑いモノになってた
みたいだよwwwwwwwwwwwwww
朝貢貿易って、朝貢品の倍以上の返品が貰えるから、普通は黒字になるんだけど
琉球だけは朝貢品が余りに貧しいから、2倍貰っても大したことはなくて
渡航や朝貢品をそろえる莫大な経費は掛かるから、いつも赤字で
「極貧の琉球に朝貢を求めるべきではない」と夏子陽が書いている。 琉球新報社説
中国は台湾の民意尊重を
https://ryukyushimpo...l/entry-1056183.html
ネトウヨどもは「沖縄の新聞は親中」と言ってきたが、それが嘘だと証明された。 >>319
ヒトラーも口先では「欧州の平和」、東條英機も口先では「東亜の平和」を
叫んでいたからな。この手の「口先だけの平和主義」に簡単に騙されるのが
オツムの足りない沖縄土人の特徴。 英祖とか三山時代とか尚巴志とか尚円とか、護佐丸とかオヤケアカハチとか、もっと
詳しい事績が分かってさえいれば、韓ドラや中国史劇ドラマに負けない面白い題材に
なる気もする。そういう意味で、動乱時代の史料の絶対量が不足しすぎなのが残念
特に個人の伝記が決定的に無い。実に歴史は、史料を残す文化が前提だと痛感する >>321
今の沖縄ゴキブリどもを見れば、分かるだろ。
卑怯者ってのは【ウソついて歴史捏造】が命で、
辺野古移設推進派の翁長ヅラ男や、
菅政権で辺野古移設を閣議決定したデニーの一派は、
「実は(ヅラ男や脳ミソハーフ)移設に反対していた」と見え透いた
ウソをついて歴史捏造する事に必死だ(嘲笑
【ウソついて歴史捏造】が習慣化している卑怯な沖縄ゴキブリの中では
伝記や歴史モノは、バカバカしくて全く受け入れられないだろうな >>320
当時はすべての国がまともじゃなかったかたらな >>325
そんな事はない。例えば「文学者」という括りでも、戦争中の日本の有名人では
幸田露伴・谷崎潤一郎・内田百閨E江戸川乱歩・中里介山・横溝正史など、
帝国陸海軍の軍国主義への協力を毅然と断った、硬骨の日本文学者も数多かった。
しかし、宮本百合子、蔵原惟人、中野重治、佐多稲子、窪川鶴次郎など
日本共産党員のプロレタリア文学者は、帝国陸海軍に媚を売る為に
こぞって日本文学報国会や大日本言論報国会などの極右団体に所属して、
「八紘一宇・鬼畜米英」を叫んで、戦意高揚や軍国主義の推進に努めていた、
どーしようもないクズ戦争犯罪者だ。
沖縄人も沖縄マスコミや沖縄教員・沖縄公務員を筆頭に、みんなゴリゴリの
軍国主義者だから笑うな。沖縄戦を他人のせいにするんじゃねーよ、
「軍国主義・沖縄」のアホ県民さんよwwwww
沖縄の場合は、今でも沖縄マスコミや沖縄教員・沖縄公務員の主導によって
共産シナの軍事侵略主義に昏倒しているから、80年前と全く変わってないな。
民度が低いバカ県民は、何度も同じ過ちを繰り返すから笑えるwwwwww 薩摩に侵攻される前の15〜16世紀、交易で大いに栄えたと言われるけど、
よく考えると日本と中国の間で国交的事情を利用して上手く立ち回って
上前はねてただけのゴキブリみたいな存在だよな琉球って
日明貿易が正常化すると何の生産力も無いから当たり前のように没落
その上薩摩の言う事聞かずにダダこねるバカ尚寧
そりゃ薩摩に攻められてもシナかぶれの蛇名利山以外抵抗らしい抵抗らしいもせずに
間接支配属国化を受け入れる筈だわ
琉球の国粋主義ぶち上げて版図広げた尚徳王も兵や金の消耗が激しいからとなぶり殺しにして
王族士族一円に平等分配主義の尚円にすげ替える
武士の心なんぞ持ち合わせておらず伊勢平家、松浦党倭寇などの功利第一主義が建国以来の国是
源氏由来なんて仮冒も良い所の嘘八百
鬼薩摩に性根叩き直されてようやく羽地朝秀蔡温により大改革
近世藩らしき国家体裁を整える事ができた でも相変わらず貧乏
近代維新日本に内地化、抵抗勢力などまともにあろう筈もない でも貧乏
自主自立の精神など建国以来あろうはずもない
薩摩や日本には感謝しても感謝しきれるものではない
これが中華民族にすげ替えられたらどうなるか見る影もないのは
バカでも分かる 沖縄の歴代豪族の争いは本土と違い人口が少ない島で相対的に命は大事、争いの終結は
大量のスパイが暗躍や裏切りで親分が降参するか殺戮で終戦で元々住民は領主に執着しな
かった、統一王朝も薩摩が侵略した時は港では撃退したが薩摩兵は陸路で浦添首里城住民
を放火殺戮を始めたので仕方なく観開門〔正門〕を開放して降伏して住民の死亡者を最低限度
に抑えた、当時の尚寧王は若くして亡くなり今は生まれ育った浦添の浦添よーどれで沖縄の
海を見下ろしてる
ろし >>328
早く豚キムチに核落とされてソウルが火の海になれば良いのに やはりアイヌ人と琉球人の方が本土人よりも遺伝的に近かった - 東大など
https://news.mynavi.jp/article/20121102-a126/
総合研究大学院大学と東京大学は11月1日、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得たとし、
アイヌ人から見ると琉球人が遺伝的に最も近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示されたと発表した。
日本列島は南北4000km以上にわたっており、3万年以上前から人間が居住してきた考古学的・人類学的証拠がある。現在は北から順にアイヌ人、本土人、琉球人という3人類集団が分布している状況だ。 >>330
>>328
早く豚キムチに核落とされてソウルが火の海になれば良いのに 日本人と関わった悲劇
日本人が沖縄にタカったのはいつ頃から?
1602年に仙台藩領内に琉球船が漂着したことです。
徳川家康は漂着した人々を琉球へ送り届けましたが、その見返りとして日明貿易の仲介などを薩摩藩を通じて要求しました。
>見返りとして日明貿易の仲介などを薩摩藩を通じて要求
恩着せがましさはこの頃からです。
何度もあった要求の通達を琉球王国は無視し続け、
家康の激怒を買うことになり1609年に薩摩藩の侵攻を受けることになってしまいました。
今の北朝鮮と同じw
まぁ同民族だからね仕方がないね血は争えぬ!wwwwww
最初に無理難題をふっかけてきたのは豊臣秀吉だった。
それ自体理不尽な朝鮮侵略の実行にあたって、何の関係もない琉球王国に兵糧米の提供や築城分担金の支払いを要求してきたのだ。このときは一部の要求を除いて拒否することができたが、
関ヶ原後の1609年に薩摩が軍隊を送り込んで来ると、軍事力で圧倒的に劣る琉球は抵抗できず、降伏するしかなかった。この結果、琉球王国は奄美諸島を薩摩に奪われただけでなく、重税を課され、国王位の継承や王国高官の人事にまで口を出されるようになった。
薩摩は琉球王国を冊封体制の一員として存続させ、そこから得られる利益を吸い上げ続けた。
薩摩の重圧に苦しむ琉球王府は先島(宮古・八重山諸島)に人頭税などの重税を課すことで負担を転嫁しようとしたが、これに対する恨みは今でも沖縄本島と先島諸島との間の地域的対立の遠因となっている。
1871年には廃藩置県があり、薩摩藩は鹿児島県となったため琉球王国は鹿児島県付庸国という特殊な立場となりました。そして翌年には琉球藩を設置し、日本の領土とし、
清への朝貢を止めるように指示しましたがこれに清が反発。
また琉球王国もこれに従わなかっため、1879年に首里城の明け渡しを命じ沖縄県を設置しました。
1879年 3月27日 『琉球処分』 - 警察官160名、陸軍400名したがえて「琉球処分官」松田道之が首里城にやってきた
これが琉球処分
武力でやった訳だ。
他では・・・
日本人はアイヌ人に何をしたのか? - The Ainu Genocide by Japan -
明治時代におけるアイヌ同化政策
フランス国立東洋言語文化学院 日本言語文化研究所 ノエミ・ゴッドフロア
これに味をしめて韓国併合へと続く 同じ方法で・・・・・・ 映画監督のオリバー・ストーン氏ら、世界の識者400人超が沖縄での米軍辺野古新基地建設を中止するよう求める声明全文(日本語訳)と、主な賛同者一覧は次の通りです。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-2665129.html
国際声明 米国と日本は沖縄の軍事植民地支配をやめよ(日本語訳)
2024年1月
ジョー・バイデン大統領および米国市民へ
岸田文雄首相および日本国市民へ
10年前、言語学者のノーム・チョムスキー氏や元米陸軍大佐・元外交官のアン・ライト氏を含む103人の世界の学者、ジャーナリスト、芸術家、平和活動家が、沖縄本島北部の辺野古に、さらなる米海兵隊基地を建設することに反対する声明を発表した。しかし現在もなお、日米両政府は沖縄県民の大多数が反対しているにもかかわらず、この高価な埋め立てプロジェクトにこだわり続け、かけがえのない生態系を無謀にも破壊している。 残念ながら、埋め立て予定総面積の約4分の1を占める辺野古側の工事はほぼ完了している。そして今、北側の、より深く、貴重な生物多様性をもつ大浦湾の埋め立てに着手しようとしている。
辺野古への基地建設計画は1960年代から存在していた。そして1996年の日米合意(SACO合意)により、混雑する宜野湾市のど真ん中に危険な状態で位置する米海兵隊普天間航空基地の「代替施設」として復活した。それから四半世紀以上たった今でも、日米両政府は普天間基地によって占領されている土地を本来の所有者に返還しておらず、米国は新基地建設後も両方の基地の維持を目指しているとの報道さえある。
沖縄の自己決定権、民主主義、自治権を支持する私たち署名者は、第二次世界大戦以来、米日の事実上の軍事植民地とされている沖縄の、さらなる軍事化を拒否する沖縄の人々への支持を、ここに新たに表明する。
かつては独立した琉球王国であった沖縄は、戦国日本による3世紀にわたる支配の後、1879年に大日本帝国に強制併合された。琉球列島の人々は、欧米列強に植民地支配された世界中の多くの先住民族と同様に、強制的に日本に同化させられ、言語、名前、伝統、そして主権と自治を持つ民族としての尊厳を奪われた。
アジア太平洋戦争末期、日本は沖縄を「捨て石」とし、「皇土」を守るために沖縄で持久戦を行い、島々の住民を総動員した。日米間の戦争で、沖縄県民は人口の4分の1以上、12万人以上が死亡した。アメリカは戦争の戦利品として島々を支配下に置き、80年近く経った今でも沖縄の陸・空・海を占領し、性暴力や殺人を含む甚大な人権侵害、航空機や車両の重大事故、PFAS水汚染などの環境破壊を引き起こしている。
2023年12月20日、福岡高裁那覇支部は沖縄県に対し、新基地の大浦湾側の埋め立てを可能にするのに必要な、「マヨネーズ状」の軟弱地盤に対処するための政府の工法変更を承認するよう命じた。この地盤強化は多大な費用と年月がかかることが予想されており、専門家によれば「不可能」と言われている。2018年と2022年の知事選で辺野古基地反対を掲げて当選した玉城デニー沖縄県知事は、12月25日に裁判所の命令を拒否し、12月27日に最高裁に上告した。
12月28日、日本政府は沖縄県に代わって、計画変更を承認した。1999年に改正された地方自治法に基づく「代執行」の異例であり初めての行使であった。
要するに、裁判所は、国が法律を私物化し、地方自治体の自治権を踏みにじることを事実上認めたのである。日本政府は2024年1月12日に大浦湾の埋め立て工事を開始する予定である。
バイデン大統領、岸田首相、そして米国と日本の市民へ、私たちは沖縄差別を止め、沖縄の軍事植民地化に終止符を打たなければならない。その第一歩は、総工費65億米ドル以上、完成までに10年以上かかると予想されている辺野古・大浦湾での新基地建設を中止することである。
今こそ正しいことをしよう。