>>334-335
首里城が熊本鎮台の沖縄大隊の兵舎だった時代は、
陸軍主計部によって兵舎の維持管理がしっかりされていたが
日清戦争で沖縄大隊が台湾に移駐すると、首里城は狐狸の棲み処となって
急速に荒れ果てた。これは全国の城郭に共通する悩みだったが、
内地の城の多くは明治末から大正初めに荒廃が進むと、地元有志で金を
出し合って修築が行われ、地元のシンボルである城を守った。そして城を
神社として、神主一家を住まわせて管理させ、賽銭で城の修復を行わせた。

しかし沖縄には尚家の一族も大勢いたのにも関わらず、首里城修築に金を出す
ような志の高い人は皆無で、首里市は『倒壊の危険があるので正殿を取り壊す』
と発表し、解体は時間の問題となった。

それを救ったのが東京帝国大学教授伊東忠太/鎌倉芳太郎らの奔走で、
首里城は国宝に指定され、1930年代に国の予算で大掛かりな修築が行われ、
琉球王尚氏の先祖である源為朝と歴代尚王を祀る神社とした。

昔も今も、首里城を燃やしたり壊すのは沖縄のクズ土人どもで、
首里城を懸命に維持し、守ろうとするのは内地人