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>敗残兵から「スパイ」として射殺されかかる体験もしている

32軍の兵力10万のうち、沖縄戦前の本土出身兵は3割、沖縄召集兵は7割だった。
しかし本土出身兵は10倍の兵力と50倍の火力の米軍との死闘の連続で、兵力を
急速に消耗したのに対して、沖縄召集兵は軍規も理解できず、弾が飛んで来たら
逃げてしまうので米軍との戦闘には全く使えず、後方で穴掘りや食料集めをして
いたため生存率は高く、沖縄戦末期には9割以上が沖縄召集兵だった。32軍の敗残兵
なんてほとんどが沖縄召集兵だ。沖縄兵は強力な米軍との戦闘など全く出来ないが、
現地の沖縄住民には滅法強くて、残虐行為をしたのも多くが沖縄召集兵

沖縄人ジャーナリストの冨村さんの証言でも、沖縄召集兵が一般住民をやたらと
「スパイ容疑」で殺しまくった事を書いている

本土出身兵は米軍との死闘の連続で、現地住民どころの話ではなく、
食料調達などで一般住民と圧倒的に接触や交渉が多かったのは、沖縄召集兵の方

生き残った本土兵も、土地感皆無の沖縄北部で、住民に頭を下げて芋を貰って
露命を繋ぐことしかできなかった。沖縄召集兵は住民の食料集積場所などを
良く知っているから、住民に頭を下げる必要もなく、住民にスパイ容疑を掛けて
殺戮して食料を奪い、やりたい放題。

まあ本土兵が軍国主義教育など受けていなかったのに対して、沖縄出身兵は
沖縄マスコミ/沖縄公務員/沖縄教員の「オール沖縄」の鬼畜どもによって
ゴリッゴリの軍国主義者に洗脳されていたからな。住民虐殺もやるよね。。

■沖縄人の見た沖縄戦A
http://wildhorse-depot.seesaa.net/article/87610228.html
◇日本兵を殺した沖縄人
さて自分のことも云わなければなりませんが、米軍が本部半島や今帰仁に上陸する
と同時に、本部村と今帰仁村の村民は米軍によって全て今の名護市、もとの久志村に
収容されました。故に久志村に行った人々は飢えてましたが、今帰仁や本部は無人の
村となり、芋をはじめとする食べ物が沢山ありましたので、私達は久志村の山を越え
て、四、五日おきに本部や今帰仁の畑に芋掘りに行ってましたが、久志村の山では
南部から生き延びてきた日本の敗残兵が四、五人ずつグループをつくり、二百人近く
いました。私達が歩いていると、飢えた日本兵がよく「芋を下さい」と云って私達
少年に頭を下げてきました。
 島民を殺した日本兵と云えば、皆本土出身の日本兵と思うでしょうが、本土出身の
日本兵は沖縄の地形はよく知らず、同じ沖縄人をスパイ容疑で殺したのは現地で入隊
した防衛隊であり、護郷隊です。沖縄出身の日本兵です。だから沖縄の作家達は、
沖縄戦記を書く場合には「沖縄出身の日本兵」とは書かないのです。ただ「日本兵」
と書けば、日本人は「本土出身の日本兵」と考えるでしょう。このように沖縄人は、
自分達に都合のいい沖縄戦記を書いています。