>>639
>先の大戦でアジアの人々を殺しまくった本土の人間たち

南京大虐殺もシナ軍による卑劣極まる見せしめの【漢奸狩り】だし、シナ住民をとにかく
殺しまくったのは鬼畜のシナ軍。だから軍規の厳しい日本軍は大陸奥深くでも住民を味方にして
戦う事が出来た。戦後、日本軍が南京を去る時は南京市民達が日本軍に「行かないでくれ、
奴ら(シナ軍)が戻ってきたら、俺達は皆殺しにされる」と泣いて縋った。

沖縄で純真な住民を軍国主義に洗脳して、集団自決に追い込んだのは沖縄朝日新聞(今の沖タイ・
琉球新報)などオール沖縄の御悪人どもだ。沖縄中学生を鉄血勤皇隊で殺戮したのは、泉知事の
反対を無視して違法に学校ごとに集団徴兵した沖縄公務員/沖縄教員などオール沖縄の鬼畜ども。
泉知事の命令に反して勝手に慰安婦集めて、従軍慰安所を開設したのは沖縄県警察部(沖縄県警)。

原爆落としたのも、東京大空襲や大阪大空襲、沖縄で艦砲・迫撃砲・火炎放射器・強制収容で
10万人もの住民を大虐殺したのは米軍だな。オール沖縄の鬼畜連中のように、戦後にウソついて、
卑怯にも日本軍に責任転嫁しているだけ。

・第十六師団史より

■旅団長草場辰巳少将
「第十六師団が天津から子牙河沿いに西南進した作戦末期のことである。児玉支隊が
10月13日未明、隆平県城の城壁上に取りつき夜が明けてみると、城内は敗残兵による
掠奪で阿鼻叫喚の街と化していた。日本軍は、ただ呆ッ気にとられて、しばし茫然と
して、この地獄図を城壁から眺めていたのである。隆平県城内に雪崩れ込んだ敗残兵は、
住民から衣・食を奪って便衣化し、明け方になって逃げ出す算段であったのだろう。
城壁がすでに日本軍に占領されたのも知らず、掠奪の大狂乱を演じていたのである」

■支那軍による掠奪(歩兵第十九旅団司令部通信班長、犬飼総一郎氏談)
「南京に向かう追撃作戦で、京都の第十六師団は江南大運河に沿い進撃したが、その
追撃隊となった歩兵第十九旅団(歩兵第九聯隊第三大隊、歩兵第二十聯隊を基幹とする)
は11月25日無錫を突破し、29日には常州に進出した。無錫も常州も掠奪の跡歴然たる
ものがあり、私はこの時はじめて、支那軍による掠奪の凄まじさを見たのである」