江田憲司が初めて明かす普天間合意「23年目の真実」

私は、当時の橋本総理の、次の述懐がすべてを物語っているように思える。
「大田知事にとっては、基地反対、反対と叫んでいる方がよほど楽だったのだろう。
それが思わぬ普天間返還となって、こんどは自分にボールが投げ返されてきた。
その重圧に堪えきれなかったのかもしれない」。

 そして、この総理と沖縄県知事の「人と人との関係の極み」は、
それからまもなくのこと、98年2月、たった一本の電話で断ち切られたのである。
それは、この問題を十数回もひざ詰めで進めてきた、知事と総理との直接の会談の場ではなく、
秘書官風情の私への、一本の電話だった。