プチエンジェル事件
遺書もなく犯人が自殺したため犯行の動機は分かっていない。ただ、犯人の父親N.Yは元・朝日新聞西部本社社会部長で、1993年に難病の頭頸部ジストニアを発症して1996年に自殺、兄も1999年に自殺、2001年には母親が自殺未遂するなど身内に不幸が相次ぎ、また、本人も持病のアトピー性皮膚炎で苦しみ知人に死にたいともらしていた。

その後、この事件を取材していたフリーライターが殺害される事件が発生するが、本事件との関連性は不明。

また、被害者とされる少女四人も後の消息は一切わかっていないとされる。