自国に由来する神社も無いとは土佐という国はどういう人らが住んでるのだろう?

伊予では些細なエピソードであってもすぐ神社ができる土地柄です。
以下は興居島・由良町の船越和気比売神社に伝わる話です。

昔、興居島の漁師で和気五郎太夫という人がいた。
和気五郎太夫は毎日のように船で漁をしていたが、ある日のこと見慣れぬ壷が波間を漂いながら船に近づいてきた。
見慣れぬ壷を船に引き上げ、中を覗いてみると小さな可愛い女の子がいた。
子供のいない和気五郎太夫は、これも何かの縁、天から授かった子供だと大喜びして、自分の娘として大事に育てた。
美しい娘であったので「和気姫」と呼ばれていた。

やがて和気姫は成長し、伊予の豪族の男性と結婚し三人の男子を産んだという。
そのうち第三子の「小千御子」の系統から、伊予の豪族・河野一族が出たとも言われている。

小千御子の母が住んでいた島ということで、「母子島(ぼごしま)」と呼ばれていたが、江戸・元禄時代の頃より、興居島と呼ばれるようになったという。

和気姫はこの島で世を去り、島の人々達は和気姫を祭った社を建てた。
「船越(ふなこし)社」と呼ばれていたが、後に「船越八幡宮」と改められ、明治時代になって「船越和気比賣神社」になった。