>>929
まず、古代の日本語と百済の言葉は同一であり、双方の使者に通訳がいない。
しかし、当時の中国語は魏誌倭人伝の時代から当て字を使っており中国文化から完全に変質している。
朝鮮語もその後に変質してしまった。白村江の後の新羅は百済とは言語が違う。
日本語も秦氏や土師氏が来た古墳弥生頃からかなり変質しており、東アジアで独自の言語として成立して行く過程だった。
道真公が左遷されて瀬戸内海をうろうろしていたのは901年、復権されたのが923年、神として奉られたのは947年。この時点で百済滅亡から300~400年もたっており、土師氏から菅原と言う姓をになってからですら120年たっている。
帰化した百済の人々秦氏が名前を変えて歴史の彼方に消えていくときに似た発音のジェン、チェンと言う言葉が字だけ違っていたとしても何らおかしくはない。