>>522
その中の単語を組み合わせて検索すると、地元研究者が書かれた論文がヒットする
(一部抜粋)
鉛山関係の採掘記録
井代から南へ秋葉道を2`程で睦平橋へでる。ここから(大野からも約2`)
東海自然歩道に沿って30分位山道をのぼると、鉛山(かなやま)一帯である。
つまり、「境目ニ鉛有之」である。事実、明治12年までは、鉛採掘の記録があるという。
…睦平(六郎貝津村)の「鉛山」461mは、大野村の飛び地で現在大野財産区有林である。
南は下吉田、北は井代、西北は大野に接する位置で、上の半五郎・常陸介の支配地と一致する。
ここの小字名は「金山マブ下」という。(『八名郡誌』大正 15)
…鉛山に、現在鉱山の安全を願う山ノ神石祠(66 p)がある。
碑文には「大正五年九月建立、静岡市札之辻町 岡部安治郎」とある。

素人目から見て、これから鉄砲が重要になる時代
弾(たま)の原材料となる鉛を算出する鉱山も、あわよくば手に入れたかった>武田
現代は鉛の需要はないから、採掘も止まっているのでは?