>>394
検索するとYahoo知恵袋に
「元の名前は愛知女子商業高校で近くに藪下とゆう通りが有ったので藪商で「やぶしょう」になったとの事です」
と、あるのですが

愛女商の所在地は現在「新道」ですが、昭和40年代までは新道になってしまった区域の中に籔下町という町名が存在しました
菊井通りの西側には西籔下町(現在は「菊井」)がり有りました。
町名は変わってしまいましたが今でも市バスの西藪下町バス停があります」


ただ、愛女商の敷地は新道に変わる以前、西半分は「菊井町」東半分は「新道町」なので
近くの籔下町の「やぶ」が俗称になったのは何でかな?

当時は籔下町と西籔下町を繋ぐ道路が賑わっていてYahoo知恵袋の回答えの様に
通りの名前がこの地域の代名詞になっていたのかも?

※昭和34年の地図では竹かんむりの「籔」ですが、現在のバス停は草かんむりの「藪」です