検索させずに引用してやりんよ

https://www.chunichi.co.jp/article/123877
 一五六〇年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れて討たれた。松平元康(徳川家康)はこれを機に、今川家から自立。今川家の勢力下にあった東三河を侵略した。
 義元の跡を継いだ今川氏真は、これに激怒。吉田城(現豊橋市)の城主だった小原鎮実(しずざね)に、当時人質としていた松平側の武将の妻子十三人を処刑するよう命じた。
 人質は現在の豊橋市新吉町にある龍拈寺の門前に一列に並べられ、十字の柱にはりつけにされた後、矢で串刺しにされたと伝えられる。
 時は流れて江戸時代末期。ある旅人が十三人の埋葬地の富本町を通りかかると、十あまりの幽霊が現れた。
それは、処刑された妻子たちの霊だった。当時の村人たちは旅人の話を受け、霊を恐れて石碑の建立を決めたという。