先発投手が完投した翌日に救援する。
今では考えがたい連投が権藤博(86)=名古屋市=の日常だった。
69試合に投げて35勝を挙げた中日1年目の1961年。
指揮を執った濃人渉は、権藤の肩の痛みをトレーナーから伝え聞くと、こう返した。
「たるんどる。命までは取られやせん」。
戦禍をくぐった経験が、手厳しい言動ににじんだ。