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当時のやり取りについてペリーは「自らが見てきたことを ソロモンに忠実に伝え
『同じ結論』を進言したと回想している。こうした入念なリサーチ作業を経て、 レーガンは
水面下で中国との武器取引に手を伸ばしていくことになる。

1983年初め、 旧ソ連を追い詰めるために 中国との関係強化と言う外交的成果を最大限に
利用するチャイナカード戦略を編み出した リチャード・ニクソンが密かにホワイトハウスの
門をくぐり、レーガンと膝詰めの会談に望んでいた 。

「中国に軍事技術を供与し、 その軍備の近代化を手助けすることで、 ソ連の 軍事費負担を
増やすことを考えるべきだ」ー。
席上、ニクソンは熱心にこう説き、 レーガンに決断を迫った。 ニクソン側近として
当時の経緯を知るリチャード・ マコーマック元国務次官によると、 この時、レーガンは
「 中国に渡した米国製の軍事技術が台湾(侵攻時)に使われることはないか」と懸念を示し、
躊躇する姿勢も見せたという。 しかし最終的には ニクソンの提案に対して
「 『台湾には決して使わない』という一筆を 中国から取り付ける必要がある」と注文を
つけることで折り合いをつけた、とマコーマックは証言する。「 中国向け高度技術の提供に
必要な 国内手続きを速やかに簡素化する 」 1983年5月末、北京で開催した第1回米中商業
貿易合同委員会の終了時、 米側の主 席代表を務めた商務長官、 マルコム・ボルドリッジは
レーガンの政治的決断を中国側にこう伝え、 米中関係の強化を訴えている。