0001きつねうどん ★2022/07/28(木) 08:12:36.02ID:CAP_USER
「分断を深めたのは安倍元首相だ」と言えば言うほど分断が進む
「安倍ガー」のお次は「分断ガー」ということらしい。
安倍晋三元首相の「国葬」に反対するマスコミ、野党、有名人の多くは、反対の理由として「社会の分断を深める」ことを挙げている。例えば、こんな感じである。
●<社説>安倍氏「国葬」 国民の分断を懸念する(東京新聞7月20日)
●『国葬』に踏み切ることは、国民の分断につながりかねないと懸念しています(辻元清美氏談 中日スポーツ、7月16日)
●国葬にするかどうかという議論をすること自体が、分断しか生んでいない(ロザン宇治原史規氏談 スポニチ、7月19日)
さらにSNSなどでは、「日本の分断を深めたのは安倍元首相だ」として、そんな人物を国葬にすることで、さらに日本の分断が進行してしまうなどと強い危機感を抱く人たちもいる。「分断を防いで国がひとつにまとまるためには安倍元首相の国葬を阻止すべき」と反対運動を呼びかける人もいらっしゃる。
つまり、これまでは、日本で起きているあらゆる問題は安倍元首相の責任だと主張する、いわゆる「アベガー」と揶揄される人たちがいた。そんな方々が、安倍元首相の死を受けて、日本のあらゆる問題は「社会の分断」が原因だと主張する「分断ガー」ともいうべき人々へとアップデートしているような印象なのだ。
もちろん、日本は言論の自由があるので、「社会の分断」が問題と思っているのならそれを声高に叫ぶこと自体はまったく問題ない。今の内閣総理大臣・岸田文雄氏も前々回の総裁選のキャッチコピーは「分断から協調へ」だった。
ただ、そういう主張をするにしても、「安倍元首相が日本の分断を深めた」的なことを触れ回るのはちょっと考えた方がいい。故人の名誉を著しく毀損するデタラメだし、こういうことを言えば言うほど、「社会の分断」が深まっていくことになるからだ。
分断による対立は70年代から徐々に緩和されてきた
よくジャーナリストや評論家が何かにつけて「最近、ニュースや新聞を見ていると、社会の分断が進んでいてびっくりしませんか」的なことを言って人々を脅している。しかし、「分断」の度合いでいえば、学生運動などが盛んだった時代の方が絶望的に深い。
1960~70年代、若者と高齢者、保守と革新、企業と労働者など社会のあらゆるところで分断が深まって、時に暴力にまで発展するような激しい対立を引き起こしていた。反政府活動も盛んで大企業に爆弾テロをするような人々もいた。デモや抗議活動も今よりもっと過激だった。
当時のことを、歴史の授業では「一億総中流」なんて教わるので、日本人がみんな一つにまとまって分断がない平和の時代のような錯覚を受けるかもしれない。しかし、それはよくある「過去の美化」であって、当時はマイノリティに対する差別や偏見も今と比べものにならないほど深刻だった。「中流」に入らない貧しい人もたくさんいて、さまざまな社会問題のトリガーになっていた。
そういう殺伐とした時代に比べたら安倍元首相の時代、さらにはもっとさかのぼった小泉純一郎元首相の時代などは、だいぶ「社会の分断」が弱まっていたのである。
それを示すデータがある。NHK放送文化研究所が1993年から参加している国際比較調査グループISSP(International Social Survey Programme)という調査だ。
これは、世界約40の国と地域の研究機関が、毎年1つのテーマを設定して共通の質問文で調査を行うもので、長期的に同じ質問をするので人々の意識の変化がつかみやすい。その中で「グループ間の対立意識」という項目がある。1999年から2019年の20年間で「経営者と労働者」「貧しい人と豊かな人」「若者と年配の人」が対立しているかという意識がどう変化したのかを調べたもので、このように結論づけられている。
「安倍ガー」のお次は「分断ガー」ということらしい。
安倍晋三元首相の「国葬」に反対するマスコミ、野党、有名人の多くは、反対の理由として「社会の分断を深める」ことを挙げている。例えば、こんな感じである。
●<社説>安倍氏「国葬」 国民の分断を懸念する(東京新聞7月20日)
●『国葬』に踏み切ることは、国民の分断につながりかねないと懸念しています(辻元清美氏談 中日スポーツ、7月16日)
●国葬にするかどうかという議論をすること自体が、分断しか生んでいない(ロザン宇治原史規氏談 スポニチ、7月19日)
さらにSNSなどでは、「日本の分断を深めたのは安倍元首相だ」として、そんな人物を国葬にすることで、さらに日本の分断が進行してしまうなどと強い危機感を抱く人たちもいる。「分断を防いで国がひとつにまとまるためには安倍元首相の国葬を阻止すべき」と反対運動を呼びかける人もいらっしゃる。
つまり、これまでは、日本で起きているあらゆる問題は安倍元首相の責任だと主張する、いわゆる「アベガー」と揶揄される人たちがいた。そんな方々が、安倍元首相の死を受けて、日本のあらゆる問題は「社会の分断」が原因だと主張する「分断ガー」ともいうべき人々へとアップデートしているような印象なのだ。
もちろん、日本は言論の自由があるので、「社会の分断」が問題と思っているのならそれを声高に叫ぶこと自体はまったく問題ない。今の内閣総理大臣・岸田文雄氏も前々回の総裁選のキャッチコピーは「分断から協調へ」だった。
ただ、そういう主張をするにしても、「安倍元首相が日本の分断を深めた」的なことを触れ回るのはちょっと考えた方がいい。故人の名誉を著しく毀損するデタラメだし、こういうことを言えば言うほど、「社会の分断」が深まっていくことになるからだ。
分断による対立は70年代から徐々に緩和されてきた
よくジャーナリストや評論家が何かにつけて「最近、ニュースや新聞を見ていると、社会の分断が進んでいてびっくりしませんか」的なことを言って人々を脅している。しかし、「分断」の度合いでいえば、学生運動などが盛んだった時代の方が絶望的に深い。
1960~70年代、若者と高齢者、保守と革新、企業と労働者など社会のあらゆるところで分断が深まって、時に暴力にまで発展するような激しい対立を引き起こしていた。反政府活動も盛んで大企業に爆弾テロをするような人々もいた。デモや抗議活動も今よりもっと過激だった。
当時のことを、歴史の授業では「一億総中流」なんて教わるので、日本人がみんな一つにまとまって分断がない平和の時代のような錯覚を受けるかもしれない。しかし、それはよくある「過去の美化」であって、当時はマイノリティに対する差別や偏見も今と比べものにならないほど深刻だった。「中流」に入らない貧しい人もたくさんいて、さまざまな社会問題のトリガーになっていた。
そういう殺伐とした時代に比べたら安倍元首相の時代、さらにはもっとさかのぼった小泉純一郎元首相の時代などは、だいぶ「社会の分断」が弱まっていたのである。
それを示すデータがある。NHK放送文化研究所が1993年から参加している国際比較調査グループISSP(International Social Survey Programme)という調査だ。
これは、世界約40の国と地域の研究機関が、毎年1つのテーマを設定して共通の質問文で調査を行うもので、長期的に同じ質問をするので人々の意識の変化がつかみやすい。その中で「グループ間の対立意識」という項目がある。1999年から2019年の20年間で「経営者と労働者」「貧しい人と豊かな人」「若者と年配の人」が対立しているかという意識がどう変化したのかを調べたもので、このように結論づけられている。