太宰治の作品は、潜在的二人称って表現されるんだよね。まるで太宰治が囲炉裏とかの前で自分だけに語ってくれてるような感覚の文体に包まれる。ぼくは朗読ってのは、こういう太宰治の潜在的二人称のようなね。まるで囲炉裏で読み手と自分だけがいるような、そういう言葉の操り方できる人が上手いと思うのね。アニメ声優さんの朗読って囲炉裏の前の語り手である前にキャラの芝居が入るからね。囲炉裏の前に客人がいるんじゃなくて、マイクと台本とモニターと声優って肩書きとかそういう色んな余計なもんがやっぱり読みに出るんだよね。そういうもんをとっぱらえる演出のアニメかって言ったらやっぱり違うからね。このアニメはね。だからぼくは朗読を聴くってよりアニメを楽しむためのアニメと思うんだよね。