翻訳家が煩いらしいということで思いだしたが、

海外古典といえば、最近読んだジュール・ヴェルヌの地底旅行
あれは抄訳がたくさんあるし、完訳の光文社版でも原作に無い言葉を多数使って補ってたりするが、
結局は受け入れられている

その前に読んだ村上春樹訳のグレート・ギャツビーは登場人物のやりとりが現代的すぎるとか、
これも原作に存在しない会話文があると話題になったりするが、これも普通に受け入れられてる

翻訳の世界においても原作遵守は必ずしも重視されてない気がする
まして海外古典の何度目かの映像化なんてそれこそ現代人向けにリファインして然るべきに思う。