>>146
ようやく資料を見つけました
1999年製作された非売品ビデオ「20世紀わが街みずなみ」です。
それによると、疫病は「天然痘」 ときは昭和10年5月
発生源は土岐町 感染者約150人、死者二十数名 当時は有効な治療もなく、「死の病」と言われたそうだ

>中央線に乗っている人たちは、(今でいう)瑞浪市内に入るとこぞってまどを下ろし、空気が入らないようにしていた
は、そのままだった 釜戸に来ると汽車の窓を開けたそうだ。夏だというのに。
瑞浪の金融で使われたお札や硬貨は「ホルマリン」で消毒されて市外へ出されたというし、
町内の消防団が自らの感染の恐れがあることも顧みず消毒や防疫に駆け回ったという。

「遺体が山のように」は私の記憶違いでした、すみません。それでも、集められた20体以上の遺体は感染が怖くて誰も
処置できず、勇気のある人が焼却処分したそうです

8月には収まったらしく、この時、お祝いの大花火が打ちあがったということです。
余談ですがこのビデオに、故、清水快雄先生が記録、証言者として出演していらっしゃいました

思いっきり長くなってすみません でもなんか、今年の姿とかぶるところがあるでしょ?