>>458
そりゃどちらかといえば呉市民じゃろ
今は東広島に逆流しとるが

1896年に本格的に始まった舞鶴鎮守府の建設工事には、多量の労働力が必要とされたが、その際に人夫集めに尽力した西原亀三の述懐にはこう記されている。
「この地方の者は、土方仕事をいやしみきらってやる者がなく、少しくらいあっても二百や三百で足るのではなし、(中略)とうとうわたしが人夫集めをやることになった。わたしはこの土地で所要の人数を集めることはとてもできないと思ったから、まず海軍に人夫宿舎を建てさせ、自分は但馬から鳥取県をかけ回って約五百人の人夫を逐次舞鶴に連れ込み、わたしはその人夫頭になって、明治三一年から三四年まで、海軍の仕事をした。これらの人夫はほとんど全部当時一般から卑しめられ、差別されていた階級の人だったので、わたしも同類だと人から思われたものだ。」