東大卒・山口真由が語る「“元”が並ぶ経歴は、挫折の歴史」…羞恥で消えたかった日(山口 真由) | FRaU
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93298

2022.03.15

手を放す勇気
著者 山口 真由
プロフィール 信州大学特任教授

信州大学特任教授であり、法学博士・ニューヨーク州弁護士である山口真由さん。東大卒の才女として様々なメディアで活躍するが、Twitterでのつぶやきはコミカルで飾らないものが多い。そんな意外な「素顔」を率直に綴っていただく連載。今回は華麗なキャリアを持ち、“挫折知らず”に見える山口さんの挫折にまつわるエピソードです。数々のキャリアが、実は「挫折の歴史」だという、その理由とは。

蛹から蝶への脱皮の失敗
私の経歴は長い。元財務官僚、元弁護士……。

そして、この“元”が並ぶ経歴というのは、とりもなおさず、私の挫折の歴史でもある。

財務省を辞めたときには、まだ自分で選んでやめたと思うだけの余裕があった。だが、法律事務所を辞めざるをえなかったとき、30代前半で私は自分の人生に軽く絶望していた。

要は、私は期待された成果を発揮できなかったのだ。弁護士1、2年目は極めて順調だった。その頃、任された仕事は判例や法律のリサーチで、必要とされる能力は、大学の勉強にも通じる。膨大な資料を短時間で読み込み、要点を手際よくまとめる。読み込むのが速いという私の能力は、ここでも重宝される。

だが、年次があがるにつれて、手足を動かすよりも頭で考えることが求められるようになる。そこで、私は蛹から蝶への脱皮に失敗したのだ。大容量のハードディスクに依存して、CPUを開発してこなかった人間が、行き詰まるのは速かった。超速の読解力という最大の強みに頼り切るあまり、熟考に熟考を重ねるプロセスを軽視していたのだから。

大手の法律事務所には数百人規模で弁護士が在籍する。その弁護士は、アソシエイトと呼ばれる雇われる側の弁護士と、パートナーと呼ばれる雇う側の弁護士で構成される。ピラミッドの底辺は手を動かすが、頂上へと登っていく過程で頭を使うパーセンテージが増していく。

求められる能力の変化に気づかぬまま、私は、前と同じようにちゃちゃっとやっつけて、ばばっと片づけるスタイルを変えられなかった。いや、周囲の期待に応えられていないと感じるほどに、「もっと速くしなきゃ、もっともっと」と、ずれた方向へと傾斜がかかる。

メディアへの露出とともに…
そして、ある日、「新人のときには順調に成長していると評価されていたのが、3、4年目になって成長曲線から外れている」という評価を申し渡された。帰り道では涙がぽろぽろとこぼれた。毎日夜中まで、いや明方まで働いている。仕事の時間は私の日常をマックスで占領している。成績があがらなければ、もっと時間をかけて勉強した。これ以上、仕事に投入する時間も労力も増やせない現状で、私はいったいどうしたらいいのだろう?

私の事務所の電話が鳴ったのはちょうどそんな時期だった。大きなプロジェクトが終わった徹夜明けの頭に、低音の、それでいて弾力のある声が心地よく響く。どうやら彼女は雑誌の記者で、いま「天才」を特集しているという。そして、東大新聞に取材された私の記事を見ていて、ぜひ私の話を聴きたいというのだ。だだ下がる自己肯定感になすすべもなかった私は、自分を評価してくれる電話の声の主に自尊心をくすぐられる。

「はい、だいじょうぶです。伺います」と反射的に答えてから、ふと不穏な予感に胸が騒ぐ。

それがすべてのはじまりだった。雑誌に取り上げられた私は、次には雑誌を見たテレビ局からクイズ番組への依頼が届く。その次は別のテレビ。その次はスポーツ紙。そしてその次は……。

私のメディアへの露出は、エスタブリッシュな法律事務所と次第に衝突するようになる。現在でも、日本のエリートサークルは、大衆メディアをよしとしていない。特に、個人ではなく企業を顧客とする法律事務所にとって、メディアへの露出は品位を傷つけうる。その度に、事務所に許可を取り、そして事務所もよく付き合ってくれたとは思う。だが、私のメディア露出がパートナーの会議でも話題になるようになり、次第に私に向けられる視線は冷たくなる。

そうして、私は急速に“干されて”いく。

(略)

※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。