0422名無しさん
2024/04/16(火) 10:07:35.88ID:PlI5If2vアルタンデレヘイ(支那語: 阿拉騰徳力海)は、「中国共産党はまず、ウランフの例でわかるようにモンゴル人の指導者と知識人たちを狙った。『文字を読める人』は殆ど生き残れなかったと言われるほどの粛清が行われた。50種類以上の拷問が考案され、実行された。たとえば、真赤に焼いた棍棒で内臓が見えるまで腹部を焼き、穴をあける。牛皮の鞭に鉄線をつけて殴る。傷口に塩を塗り込み、熱湯をかける。太い鉄線を頭部に巻いて、頭部が破裂するまでペンチで締め上げる。真赤に焼いた鉄のショベルを、縛りあげた人の頭部に押しつけ焼き殺す。『実録』には悪夢にうなされそうな具体例が詰まっている。女性や子どもへの拷問、殺戮の事例も限りがない。中国共産党の所業はまさに悪魔の仕業である」と批判している[7]。
1979年になり内モンゴル自治区は再設置され、ウランフも名誉回復されたが、内モンゴル独立運動は徹底的に弾圧され、中国共産党はジェノサイドをおこなった漢人入植者を処罰しなかったことから、1981年にモンゴル人大学生による大規模な抗議活動がおこなわれたが、当局の厳しい弾圧に遭い、抗議活動を支援したモンゴル人幹部や『内モンゴル人民革命党粛清事件』を生き延びた人々は全員粛清され、モンゴル人大学生も辺鄙な地域へ追放されて公民権を剥奪された[7]。