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2人に子どもとポーズを取るミハイルさん(左)とナイリアさん。一家がまだロシアにいたころの写真/Courstesy Mikhail Manzurin

テキサス州オースティン(CNN) ナイリア・マンズリンさん(27)の目は涙でいっぱいになった。故国ロシアで夫と別れ、2人の子どもを連れて出国したマンズリンさん。「それがひと時で済んだことを神に感謝しています」と涙をぬぐった。

2022年9月下旬のことだった。ロシアのプーチン大統領が、第2次世界大戦後初めてとなる兵士の動員令を発布。SNSには、息子や夫をウクライナでの戦争に駆り出されて泣き崩れる母や妻たちの動画があふれた。若い男性は動員を逃れようと近隣国に押し寄せた。

マンズリンさんの夫のミハイルさん(25)は動員の基準を満たしていたが、ロシアのウクライナ侵攻には強く反対していた。自分の意思に反して従軍を強要されるべきではないと固く信じていた。

「ウクライナの罪のない人たちを殺したくない。みんな自分の領土を守り、自分の家を守っている。この侵略に加担したくない」とミハイルさんは話す。

ミハイルさんの動員や投獄、あるいは最悪の事態を恐れ、一家は脱出を決意した。生まれたばかりのフィリップちゃんと、まだ幼いマークちゃんを連れ、カザフスタン、ウズベキスタン、ドバイ、メキシコを経て、最終的に米国へたどり着く。全て、見知らぬ人の助けが頼りだった。

マンズリンさん一家のように、戦争を逃れようと米国を目指すロシア人は急増している。米国境管理当局の統計によると、入管が対応したロシア人の数は半年でほぼ3倍に増加。2022年8月(ロシアの動員が始まる1カ月前)の1645人から、23年1月は4509人に増えた。

米税関・国境警備局(CBP)の最新統計によると、22年10月以来、米南部の国境から入国を試みたロシア人は計2万2000人近くに上る。

こうなる前までは、ロシアでの生活が大好きだったとマンズリンさん夫妻は言う。2人で子育てを楽しみ、ミハイルさんは英語と中国語を教えて高収入を得ていた。

そこへ22年2月、ロシアがウクライナに侵攻した。

「ショッキングだった」とミハイルさんは振り返る。「自分の国が間違ったことをしていると気づいた」

口に出すのは安全ではないと知っていながらミハイルさんは、SNSや自分が通うキリスト教教会で、戦争反対を表明した。

戦争反対の姿勢を公にしたことで保護者から苦情が出て、仕事は辞めさせられたという。その後はオンラインで語学教師の仕事をしながら普段通りの生活を続けた。

しかし22年9月、プーチン大統領が動員令を発布したことで、その生活は暗転する。直後にミハイルさんは妻に別れを告げ、タクシーで国境にたどり着いてバスに乗り換え、カザフスタンを目指した。バスは同じようにロシアを脱出する若い男性でいっぱいだった。

「私は震えていた」とミハイルさん。バスが無事に国境を越えると、車内から歓声が上がった。

1週間後、ナイリアさんと2人の息子はミハイルさんに合流した。

カザフスタンで再会を果たした数日後、一家は列車でウズベキスタンへ移動した。友人たちとアパートに滞在して1カ月以上床に寝て過ごし、ミハエルさんは一家を支えるためにオンラインで仕事を続けたが、旧ソ連の構成国だったウズベキスタンにとどまるのは安全ではないと感じたという。

ロシア人の友人が、メキシコから国境を越えて米国に入国したと知ったのはそんな時だった。

ミハイルさんはインターネット検索を通じ、米国を拠点とするキリスト教のNPOを発見する。

同NPO代表のアルマ・ルースさんは、マンズリンさん一家から支援を求められ、メキシコ市と、米国との国境沿いにあるメキシコ北部レイノサにいる友人を紹介したと話す。

CBPの統計によれば、米南部の国境で対応したロシア人の数は、2020年度の467人から、22年度は2万1763人へと激増した。