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唐辛子売り

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画像 : 『彩色江戸物売図絵』

江戸の町では蕎麦が流行しており、江戸時代後期には3000軒以上の蕎麦屋があったといわれている。

そのため蕎麦の薬味として唐辛子の粉がブームとなり、唐辛子を売る「唐辛子売り」が登場した。

売り子は「とんとんとん唐辛子~」と呼び声を出して町中を売り歩いたという。

少し変わっていたのは、約180センチメートルの大きな張りぼての唐辛子を抱えながら売り歩いていたことである。一目で分かる巨大唐辛子の中には小袋に入った唐辛子の粉が収められていた。

また大坂ではうどんの薬味として唐辛子の粉がブームとなっていた。大坂の唐辛子売りは巨大唐辛子を抱えながらではなく、話術を使い商売していた。

大坂の唐辛子売りである甘辛屋儀兵衛は、買い手の求めに応じ様々な面白い口上を述べたといわれる。

買い手の中には特別に金を払い楽しんだ人もいたそうだ。

飴売り
・お万が飴

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画像 : 歌川国芳『当世流行見立』の中にいるおまんが飴(左の黒い笠をかぶった女装の男)。

お万が飴とは、江戸時代後期の文化年間~天保年間(1804~1844年)にかけて流行した飴売りであり、もとは四谷に住んでいた屋根職人が始めたといわれている。

女装をして飴を売り歩き大人気であった。子供や芸者にも人気が広まり、さらに歌舞伎役者もその所作を取り入れ真似したとされる。百文以上の買い上げをしてくれた客には、唄や踊りを披露するサービスをした。

石塚豊芥子の「近世商賈尽狂歌合」では「当時はやりものの随一なり。その音声いやみなる見ぶり、また他に類いなし」と評して記されている。

つづき
https://kusanomido.com/study/history/japan/edo/64570/