わが国の歴史には「空白の四世紀」とか「謎の四世紀」と呼ばれる、まったく記述のない時代がある。
しかしながらその空白の入口である弥生時代末期と出口の「倭の五王」の時代では、すべての面であまりにも違いが大きすぎる。この期間はなぜ空白で、いったい何があったのだろうか?

■卑弥呼から倭の五王までの時代は謎だらけ

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奈良県桜井市にある「三輪明神(みわみょうじん)大神神社(おおみわじんじゃ)」の主祭神である大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の妻が「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」で、箸墓に埋葬されたと伝わっている。 (撮影:柏木宏之)

 突然のように出現した巨大な前方後円墳が大和(やまと)から広がりを見せる3世紀後半~5世紀初頭は、具体的な記録が無いので「空白の四世紀」といわれています。

 中国の史書を参考にすると、『晋書 倭人伝(しんじょ わじんでん)』にある邪馬台国の新女王台与(とよ)が266年に朝貢をした記録が最後で、次に『宋書』などに現れる「倭の五王」までが何も情報がない空白の期間とされています。

 そして、この約150年の間に日本列島の人々の暮らしが大きく変化しています。まず第一に、弥生時代の邪馬台国(やまたいこく)は魏(ぎ)の皇帝に戦の救援を求めていますので、戦乱で苦境に立たされているようです。つまり、まだ邑国(ゆうこく)同士が激しく争っていた小国時代です。

 それが5世紀の倭の五王の時代になると、王権がほぼ確立して権威ある肩書を中国皇帝に要求しています。つまりこの間に大和王権がほぼ確立したと考えられます。また同時に前方後円墳が各地に広まっているのです。

 そして古墳の副葬品を見てみると、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に「倭国には牛や馬はいない」と書かれていたにもかかわらず、馬具が多く出てくるので馬が輸入されていたと考えられます。輸入どころか日本列島で繁殖に成功していたのでしょう。

 このように空白の期間は日本列島の文化や政治体制が大きく変わったときでもあるのです。現在の中国吉林省(きつりんしょう)にある高句麗(こうくり)の「好太王碑文(こうたいおうひぶん)」には、倭軍が攻め込んできたという内容も書かれていて、大和国の朝鮮半島への積極的なかかわりも見えます。

 なぜこの期間の記録がないのかといえば、大和にはまだ文字がなく書き残されたものがないからです。では中国はどうかといえば、地球の寒冷化によると思われる混乱の時代でした。中華国家は匈奴(きょうど)の侵入に悩まされ、五胡十六国時代に突入して南北朝時代まで混乱が続きます。とても海を隔てた辺境の倭国にかかわっている暇がなかったのでしょう。