■違反する前になぜ注意しない?
「福山雅治、交通違反取締りに異議『どうして途中で止めてくれなかったんですか』共感の声が続々!」と、なんとも私向けな記事が8月29日、「おとなカワイイWebマガジン COCONUTS」というサイトに。読ませてもらった。そこに、こんな部分があった。

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一時停止や矢印信号などの違反は、あらかじめ警察官が柱の陰から見張っているケースも多いもの。

福山さんは「見てるわけだから。曲がり切る前に注意すれば、注意で済むじゃないですか。でも、曲がり切って、出てくるでしょ?」「どうして途中で止めてくれなかったんですか?」と、警察官に異議申し立てすると言います。
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同様に思う方は、ほんと多いようだ。じつは私も昔、同じことを思い、かつその疑問を警察官にずばりぶつけたことがある。

裏通りで交通量が少なく、30mかそこらだけが一方通行のところを、私はバイクでゆっくり逆走。待ち伏せていた若い警察官に止められた。私は言った。

今井 「入り口で立ってればいいのに」

すると警察官は答えた。

警察官「(入り口に立っていると)誰も違反しないから」

「うわお!」と私は思った。正直な若者だ。警察官は「しまったことを言ったなあ」と気づいたようで、しばし黙った。

今井 「で、どうするの、切符、切るの切らないの?」

警察官「う~ん…」

なんだか可哀想になり、私はこんなことを言った。

今井 「じゃあね、あなたがいいと思うようにやりなさいよ」

警察官「じゃ、切符、切ります」

切るんかーい。って切るでしょ普通。切符を切るために、隠れて待ち伏せていたんだから。

違反切符のサイン欄(事件原票の供述書甲の欄)に「私が上記違反をしたことは相違ありません。事情は次のとおりであります」と小さな不動文字がある。そこに私は、不服を書いてからサインした。警察官はサイン欄を呆然と見てから、あたふたと去った。その後、私は検察官により不起訴とされた。

交通取り締まりの警察官は、なぜ隠れて待ち伏せるのか。「運転者の皆さんの普段の運転を見ているのです。警察官がいるから違反しない、いなければ違反する、ということでは困ります」などと警察は言う。なるほど、確かに。

■具体的に危険かどうかは関係ない?
しかし、約40年間にわたり交通違反・取り締まりを取材・研究してきたところからは、要するにこういうことかと思える。

1、交通の安全と円滑、交通事故(以下、事故)防止のために道路交通法(以下、道交法)はある。
2、道交法を守れば事故は起こらない。守らないから事故が起こる。
3、事故を防ぐには違反を取り締まるべし。

この論法がまずがっちりある。さらにこういう考え方がある。

4、道交法違反は抽象的危険犯である。

要するに、「危険防止のため定めた道交法に違反する行為はすなわち危険なのである。具体的に危険かどうかは関係ない」という考え方だ。これは刑事裁判の法廷で裁判官も言っていた。そして、警察の側にこんな事情があるのだ。

5、現場の警察官は実績を上げなければならない。現場の実績は上司の実績にもなる。
6、実績は数字で計る。努力目標の数字を達成すべく頑張る。

この「数字」は、件数のこともあるし、点数のこともある。たとえば、青切符の違反よりも、酒気帯びなど赤切符の違反のほうが点数は断然高いとか。2人で協力して取り締まったなら点数を半分ずつ分けるとか。

交番勤務のある警察官は、職務質問が得意で、窃盗や覚醒罪の犯人をときどき検挙する。そっちの点数がどかんと高いもんだから、しょぼい交通取り締まりなんかぜんぜんしない、なんて話も聞こえてきたりする。逆に、「実績低調者」は肩身が狭いという。「お前は無能者か! 違反を1本取るまで戻ってくんな!」とか怒鳴られたりするそうだ。