ドラえもんの二次創作で、こんな話を考えたことが有る。
境遇や才能という「生まれつきの違い」や、それを含む不平等や不運などの「世の中の理不尽さ」に憤ったのび太が、もしもボックスで「生まれつきの違いが存在しない世界、一切の不平等が無い世界、誰も理不尽な目に合わない世界」にしてしまう。

ところがその世界は、のび太の最大の望み、つまり「楽をしたい」という望みは、絶対にかなえられない世界だった。
なぜなら……その世界には、才能も天分も無い。幸運に恵まれることも、不運に見舞われることも無い。すべてが、本人の努力だけで決まる。

本人の努力ですべてが決まる世界だから、その世界では、努力することは絶対善なのである。努力しないことは絶対悪なのである。それゆえすべての者が、生涯無限に努力を強要される。
「働かざる者食うべからず」の言葉通り、その世界では、努力しない人間は飢え死にするしか無い。生きていることすら許されない。努力を怠る人間、楽をしようとする人間は、絶対に幸福にはなれない。悲惨な人生を送るしか無い。

同じ理由で、その世界では、「努力が足りない」ことに関して、どんな言い訳も通用しない。結果が出ないのは、常に、努力が足りないからなのである。誰かに勝とうと思ったら、その相手より努力するしか無いのである。

「この世界では、楽をすること自体が許されない」と知ったのび太は、元の世界に戻そうとするが……その行為が理不尽なことと判定されて、目の前でもしもボックスが消えてしまう。
絶望したのび太は半狂乱になり……結局、その後間もなく餓死することになるのだった。