ディズニーがピノッキオを作ったのは戦前のことです。
手塚先生それを元ネタに鉄腕アトムを作った。
アニメーションの歴史とは心を持ったロボットの主人公達
とともに歩んだ歴史と言っても過言ではありません。
しかし富野由悠季氏のガンダムはそうではなかった。
ガンダムはピノッキオから心をくり抜きそこにコクピットを
もうけた兵器のアニメーションとしてひとつのSF戦争
ジャンルとなった。そこに集うガノタと呼ばれるガンダムファンが
求めるロボットとは常に心のない道具であった。巨大な
人体を模した傀儡を道具として支配できる愉悦であった。
それは言わば手塚先生がアトムの1話で描いた
ロボットサーカスに熱中する人間の姿であったと言えましょう。
ガンダムの世界観を守るということはまさにこの
ロボットサーカスを永続的に守ることであったと言えましょう。
しかしそのネバーランドは現実世界のAIの発達におされる
形で崩壊が始まっている。ガンダムもアトムに、AIに
向き合わなければならぬ時代がやってきてしまった。
この作品はようやくガンダムがAIに向き合った最初の
1歩の作品と言えるでしょう。30分アニメの始まりに
ようやくガンダムは足を踏み入れたのです。
あまりにも遅すぎたこの歩みの中で、どうそのピノッキオから
続く生命を扱うか。それだけがこの作品の批評する
ポイントだとわたしは想います。