0001きつねうどん ★2022/02/20(日) 10:39:04.64ID:CAP_USER
https://www.asahicom.jp/articles/images/hw414_AS20220219002240_comm.jpg
竹島が記載された江戸時代後期の航路図=日本国際問題研究所提供
公益財団法人「日本国際問題研究所」(東京都)は18日、日韓両国が領有権を主張する竹島(島根県隠岐の島町)を記載した江戸時代後期の航路図が見つかったと発表した。長崎奉行による作製とみられ、竹島が記された江戸後期の公的地図の発見は初めてという。
研究所は2018年から島根大学の舩杉力修(ふなすぎりきのぶ)准教授に依頼し、竹島関係の古地図を調査している。今回の航路図(縦102・5センチ、横137・5センチ)は、舩杉准教授が18年10月に東京都内の古書店で購入した。
1820〜30年代ごろに長崎奉行が密輸取り締まりのために作らせたとみられ、九州を中心とした密貿易の状況や場所がまとめられている。幕府が竹島を領土と認識していたことを示す資料という。
隠岐諸島の北西には、現在の竹島を示す「松嶋」と現在の韓国・鬱陵島(ウルルンド)を示す「竹嶋」の記載があり、松前(北海道)と長崎を結ぶ航路が鬱陵島北を通っている。竹島が草木のない岩ばかりの小島であるという認識のほか、長崎へ向かう昆布船が風や波の障害が少なく便利で両島の近くを通るルートを使うようになったことなども注記として書き込まれている。
舩杉准教授は「幕府が竹島に関する正確な知見を持ち、日本領と認識していたことの裏付けになる資料だ。江戸時代の領有権を語るうえで大きな意義がある」としている。
研究成果は研究所ホームページで公開している。(清水優志)
https://www.asahi.com/articles/ASQ2M6KW7Q2LPTIB008.html
竹島が記載された江戸時代後期の航路図=日本国際問題研究所提供
公益財団法人「日本国際問題研究所」(東京都)は18日、日韓両国が領有権を主張する竹島(島根県隠岐の島町)を記載した江戸時代後期の航路図が見つかったと発表した。長崎奉行による作製とみられ、竹島が記された江戸後期の公的地図の発見は初めてという。
研究所は2018年から島根大学の舩杉力修(ふなすぎりきのぶ)准教授に依頼し、竹島関係の古地図を調査している。今回の航路図(縦102・5センチ、横137・5センチ)は、舩杉准教授が18年10月に東京都内の古書店で購入した。
1820〜30年代ごろに長崎奉行が密輸取り締まりのために作らせたとみられ、九州を中心とした密貿易の状況や場所がまとめられている。幕府が竹島を領土と認識していたことを示す資料という。
隠岐諸島の北西には、現在の竹島を示す「松嶋」と現在の韓国・鬱陵島(ウルルンド)を示す「竹嶋」の記載があり、松前(北海道)と長崎を結ぶ航路が鬱陵島北を通っている。竹島が草木のない岩ばかりの小島であるという認識のほか、長崎へ向かう昆布船が風や波の障害が少なく便利で両島の近くを通るルートを使うようになったことなども注記として書き込まれている。
舩杉准教授は「幕府が竹島に関する正確な知見を持ち、日本領と認識していたことの裏付けになる資料だ。江戸時代の領有権を語るうえで大きな意義がある」としている。
研究成果は研究所ホームページで公開している。(清水優志)
https://www.asahi.com/articles/ASQ2M6KW7Q2LPTIB008.html