>>220
>つまり1960年代に日本で山地酪農は成立してた訳だ。

残念ながら成立していない、その方法論を提唱し始めたのは60年代からかもしれないが、「改訂版」
として完成型を提唱するに至ったのは昭和48年だ。論文中の見出しで明記している。

「猶原氏の山地酪農の完成型
猶原氏は, r ~山地酪農の概要 補訂版JJ,猶原
恭爾著,昭和 48年 8月発行」(論文より引用)

しかも、提唱しただけで、提唱者本人も完成までには30年かかると説明し、その実践者も数名とされている。
モデルケースがなかったことも明記されている。

>戦後すぐに山地酪農は行われていた

山地酪農は30年準備期間が必要なので、戦後すぐにはできません。(笑)
ブログは山洞さんの山地酪農を主題にとりあげていますが、少なくとも、山洞さんは関係ありませんよね。

>そもそも戦後すぐに山地酪農は行われていたし、乳脂肪分3.5%以上という自主基準で山地酪農をしていたところが畜舎飼いに切り替えている

山地酪農は、一般の乳価(3.5%基準)でも、経営が成り立つと論証されています。
よって、3.5%の基準が満たせないからかのように説明する副市長候補の説明は失当です。
そもそも、副市長候補の説明では、

「よし、この調子ならやっていける、と牧場経営が軌道に乗り始めたとき、農協の牛乳の買取基準が変わるというできごとがありました。」

と中洞さんか誰かの説明を鵜呑みにしているようですが、中洞牧場は86年設立。87年頃始まった3.5%規格がどうとか関係なく、開業30年を迎える2000年代までは、経営が軌道に乗るはずがありません。
「この調子」も何も関係なく、師匠である提唱者の説明通り、調子なんて出るはずがありません。