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2021/11/6 18:51


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平和公園内に建立された「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に手を合わせる関係者=6日午前、長崎市(中村雅和撮影)

長崎市の平和公園で6日に除幕された「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は、設置許可の申請から完成まで約7年を要した。背景には「強制労働」などの文言が盛り込まれた当初の申請内容に市が難色を示し、調整が続けられていたことがある。


「熱気に溶けてしまった命たちは、この地での過酷な強制労働と虐待も忘却するでしょうが(以下略)」

平成26年1月、市に提出された申請書には、このようなハングルの詩を刻むとの記述があった。起草したのは旧日本軍による強制連行を追及してきた韓国首相直属の対日抗争期強制動員調査・支援委員会だった。

市が最も問題視したのは「強制労働」だという。

戦前、日本の統治下にあった朝鮮半島から労働者がさまざまな形で本土に渡った。昭和14年以降の戦時動員では時期によって募集、官斡旋(あっせん)、徴用と形態が変わったが、一連の渡航についてすべてを「強制」と表現することは不適切だ。政府も4月、「強制連行」や「強制労働」との表現について見解を求めた日本維新の会の馬場伸幸衆院議員の質問主意書に対し「一括(くく)りに表現することは、適切ではないと考えている」との答弁を閣議決定している。

市の担当者は今回、碑に刻まされた文言や、添えられた案内文について「政府見解を逸脱する内容にはなっていない」と強調する。

確かに「強制労働」などの記述は「本人の意思に反して」といった内容に置き換えられた。これは平成27年7月の世界遺産委員会で、「明治日本の産業革命遺産」の登録決定を受け日本代表団が述べた「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた」との見解と一致する。

このように慰霊碑から一定の政治色を取り除いた市の対応は評価できる。しかし問題も残っている。

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世界遺産登録をめぐっては、韓国外務省が当時「1940年代に韓国人たちが本人の意思に反して動員され、過酷な条件下で強制されて労役をしたという厳然たる歴史的事実について、日本が事実上初めて言及した」とする見解を公表している。「強制」を「本人の意思に反して」と修正してもなお、記述が政治利用されかねない懸念は残るのだ。それは韓国の姜昌一駐日大使自身が、産経新聞の取材に「『自己意思に反して』ということは強制」と述べたことからも明らかだ。姜氏は「小さい言葉の問題」とも語ったが、韓国政府の対外宣伝活動を踏まえれば、「小さな問題」とは言えまい。

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加えて、公園内には今回の碑とは別に、朝鮮半島出身者の原爆犠牲者を悼む碑がすでにある。「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が昭和54年に市から許可を受け建立した「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」だ。この碑には説明文に「強制連行され強制労働させられた朝鮮人」などと書かれ、いまだに修正されていない。

そもそも、この碑は市が長年、設置期限が切れたままの状態を許していた。同会からの申請を受け、平成26年と令和2年にそれぞれ5年間の更新を認めたが、その際、一連の記述について市は何のアクションを起こさなかった。歴史認識をめぐる記述が異なる2つの朝鮮半島出身者に関わる慰霊碑が同じ公園に併存することは、両者を意図的に混同させることによる宣伝なども招きかねない。

一連の慰霊碑が「原爆の実相を訴えるとともに、世界平和と文化交流のための記念施設」とする平和公園の本来の目的に合致するかは、極めて疑問だ。犠牲者追悼の美名に隠れ、政治利用への隙を見せていると言えるのではないだろうか。(中村雅和)