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2021/11/29 19:57


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通勤時間帯の駅前に立って演説する立憲民主党の枝野幸男前代表=29日午前、さいたま市北区(深津響撮影)

衆院選での低迷の責任を負って立憲民主党代表を辞任した枝野幸男氏が、地盤とする衆院埼玉5区(さいたま市大宮区、同市北区など)での活動に力を注いでいる。党代表として多忙だったことや新型コロナウイルス感染拡大を理由に取りやめていた選挙区内での辻(つじ)説法を今月から再開した。足場を固め直し、一兵卒≠ニして再起の機会をうかがう。

「初心」に立ち返ろうという思いの表れだろうか。29日朝のJR宮原駅(北区)前での枝野氏の演説は、「政策新人類」として注目された若手時代を思い起こさせた。約1時間の訴えの大半は自らが描く経済政策の説明に費やした。

介護や医療に関する消費の意欲は低くないと指摘し「ほしいと思っているものがたくさん売り出される方向に政策誘導していかなくてはならない。高齢者介護や子育て支援は公的な関与が必要なサービスだ」。

さらに、正社員として働く人を増やすことや介護士、保育士らの処遇改善の必要性を唱え「金融緩和だとか規制緩和だとか公共事業だとか、昭和の時代遅れのやり方をやってきたから景気はよくならなかった。モノを中心とした経済を、暮らしの安心と快適に必要なサービスを提供できるようにし、それを買えるよう所得を底上げする。これが経済対策だ」と強調した。

その上で「辻説法にこそ政治の原点がある」と演説を締めくくった。

代表辞任へと追いやられた最も大きな理由は衆院選で党が議席を減らしたことだったが、枝野氏自身の戦果も芳しくはなかった。

埼玉5区で自民党の牧原秀樹元経済産業副大臣(衆院比例北関東)に競り勝ったものの、その票差はわずか約6千だった。約4万2千票もの大差をつけた平成29年の衆院選と比較すると失速は明らかだ。

「地元の有権者に『顔』が見えず、距離を感じさせてしまった」

枝野氏周辺は、衆院選の結果をこう分析した上で「代表時代のように週末に頻繁に出張することもなくなるので、今後は地元での活動に専念する」と語る。

29年の衆院選直前に発足した旧立憲民主党を含め、枝野氏は約4年間に渡り代表を務めた。30日に選出される新代表は、枝野氏による党運営の功罪両面を総括し、来年夏の参院選や次期衆院選に向けて党の再建策を模索することになる。

枝野氏は、自らの後任を決める代表選に関し「新代表や新執行部が混乱する」(周辺)との理由で沈黙を貫いており、29日の演説後の取材にも「ノーコメントだ」と述べるにとどめた。

枝野氏が辻説法を初当選以来続けていた目的は、有権者に顔を売ることだけではない。駅前での活動を、世論の動向を肌で感じるための「定点観測」の機会と枝野氏はとらえてきた。

29年9月、所属していた旧民進党が旧希望の党への事実上の合流を決めた際、「新党結成」という選択肢を意識したのもJR土呂駅(北区)での演説の最中だった。「今の政治の流れに疑問を持つ人は相当な比率でいる」という読みは的中し、枝野氏が結党した旧立憲民主党は直後の衆院選で野党第一党へと躍り出た。

官房長官、党幹事長といった「番頭」の役回りが多かった枝野氏が初めて経験した「リーダー」としての約4年間は、政権選択選挙での敗北という結果に終わった。政治の原点と位置づける辻説法を通じ、浮揚の糸口を探る日々が続く。(深津響)