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毎日新聞 2021/12/28 07:00(最終更新 12/28 07:00) 有料記事 6882文字




 1980年代から90年代初めの韓国を率いた全斗煥(チョン・ドゥファン)と盧泰愚(ノ・テウ)の2人の元大統領が、今年相次いでこの世を去った。植民地支配の問題を抱えて出発した戦後の日韓関係は、冷戦の対立構造の中では同じ側に属しながら、歴史認識においては大きな隔たりを残したまま、協調を余儀なくされたのである。韓国・世宗大の朴裕河(パク・ユハ)教授は、冷戦後の30年を改めて振り返りながら、和解に向けた取り組みを今こそ始めるよう提案する。

 前回、歴史を考えることは支配構造とそれを抜け出そうとする個人――「主体」の両方を見て初めて可能になると書いた。ここ30年の日韓の葛藤は、冷戦崩壊後に帝国・植民地の歴史と向き合ったとき、左派は構造だけに、右派は主体だけにこだわってきたゆえのことと言えるからだ。であれば今後目指すべきは、これまでのあり方とは異なる方向であろう。

 朝鮮は、構造的に奴隷であっても、構造に閉じ込められまいとする無数の主体でもあった。「日本による奴隷」(戸塚悦朗、本連載19回参照)にとどまらなかったし、「抹殺」より包摂と排除の対象であった。こうした状況こそが植民地支配の本質に近い。

 冷戦マインド(政治マインド)は歴史を政治や自分の世界観に押し込んできたが、あるがままに向き合ってこそ文字通りの「歴史」たりうる。

 2001年の「人種主義に反対する世界会議」(ダーバン会議)で植民地主義の問題が議論され、奴隷制が「人道に反する罪」と規定されて以降、世界の植民地責任に対する認識は高まってきている。すでにいくつかの国々が謝罪を試みたし、今後もそのような動きは強まるのだろう。そうした流れの中では、日本の植民地責任の取り方はむしろ誠実なものだった。イタリアの対リビア謝罪をもって「植民地列強が過去植民地被害国に謝罪したのは歴史上初めて」(李ジャンヒ「リビア・イタリア“植民地”損害賠償責任事例の国際法的検討」「韓日協定50年史の再照明 2」東北アジア財団、2012年)とされたが、日本はもっと早かった。

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