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毎日新聞 2021/12/30 10:34(最終更新 12/30 12:16) 1454文字



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 犯人が被害者と顔見知りである「鑑(かん)」か、面識のない「流し」か――。捜査員の間でいまだに意見が割れている未解決事件がある。家族4人が犠牲になった世田谷一家殺害事件だ。捜査の方向性を決める「見立て」が定まらないのは、犯人の侵入経路が分からないことが背景にある。解決のカギとなる一つの謎を追った。事件は発生から30日で21年になる。

 2000年12月31日午前10時過ぎ、東京都世田谷区上祖師谷3の民家で、会社員の宮沢みきおさん(当時44歳)と妻泰子さん(同41歳)、長女にいなさん(同8歳)、長男礼ちゃん(同6歳)が殺害されているのを、隣に住む親族が発見した。





 この親族は事件から数日後、捜査員にこんな説明をした。「30日午後10時ごろ、隣の家(宮沢さん宅)のチャイムが鳴った。誰が来たのかは見えなかったが、こんな時間に何だろうと思った」

 この親族の証言が事実であれば、宮沢さん一家の誰かが犯人を招き入れた「鑑」の線が濃くなる。貴重な証言だった。



 だが、事件から数カ月後、この親族は捜査員から改めて30日夜のことを尋ねられると「勘違いだった」と答えたという。

 元捜査幹部は「普通に考えれば、(事件発生直後の)発言が正しいはずだ」と強調する。1階の階段下に倒れていた宮沢さんの下半身の傷は下から刺されたような形状だった。「犯人は1階から招き入れられ、何らかの事情で階段を上がろうとした宮沢さんを下から襲ったと考えるのが自然だ」とこの元幹部は話す。





 ただ、インターホンから指紋が検出されるなどの玄関説を裏付ける物証はなかった。別の目撃情報なども得られず、30日夜に訪問者がいたのかは今もやぶの中だ。

 一方、事件発覚時、現場となった民家の中2階にある浴室の窓が開いており、網戸は外れて現場裏にある公園のフェンスに立てかけてあった。



 浴室から侵入したとみる捜査員は当時から多かった。1階に比べて2階や中2階に犯人とみられる足跡が多いことも支えとなった。

 さらに中2階の子ども部屋で亡くなっていた礼ちゃんは窒息死で、多くの刺し傷がある他の3人とは明らかに異なっていた。血も付着していなかったことから、ある捜査員は「3人を刺した後であれば返り血を浴びており、礼ちゃんにも血が付いているはず。犯人はまず、浴室から室内に侵入して礼ちゃんを最初に襲ったのではないか」とみる。

 しかし、窓から入ったという証拠もない。


 事件発生直後に捜査を指揮した元幹部は残念そうに打ち明ける。「ある捜査員が浴室の窓を通れるか確かめた。しかし、鑑識が窓の微物を採取する前だったため、(犯人の衣服が当たることによる)擦り痕や繊維痕があるかを確認できなかった」

 侵入経路を断定できないことで、捜査本部は今も鑑と流しの両面の捜査を強いられている。

 世田谷事件の捜査にはこれまで、延べ28万人以上の捜査員が投入されてきた。事件の記憶も薄れるなか、警視庁捜査1課の刑事たちは解決を目指して地道な捜査を続けている。【最上和喜、鈴木拓也、木原真希】

世田谷一家殺害事件
 犯行時刻は2000年12月30日午後11時ごろ〜31日未明とみられている。現場の遺留品や血痕などから、犯人は血液型がA型の男。当時15歳くらい〜20代で、身長170センチ前後の細身の体形とされる。利き腕は右とみられ、犯人の指紋やDNA型も残っている。容疑者特定につながる有力な情報には、上限2000万円の懸賞金が支払われる。情報提供は警視庁成城署捜査本部。