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2022/2/14 17:43
産経WEST


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グリコ・森永事件で会見する江崎勝久氏(昭和59年3月)

3月24日付で江崎グリコの会長職に就く江崎勝久社長(80)は、「かい人21面相」を名乗る犯行グループによる「グリコ・森永事件」の発端となった誘拐事件に被害者として巻き込まれるなど、数奇な経営者人生を送ったことで知られる。一方、公の場で事件の詳細については語ってこなかった。

「残念の一語に尽きます。こんな事件に巻き込まれるとは予想していなかった」。江崎氏は平成12年2月、複数の食品メーカーが脅迫された警察庁広域重要指定114号事件(グリコ・森永事件)が最終時効となるのを前に、記者会見でこう振り返った。

グリコ・森永事件は昭和59年3月18日夜、江崎氏が兵庫県西宮市内の自宅から誘拐されたことで始まった。犯行グループに現金10億円と金塊100キロを要求されたが、3日後に監禁先の倉庫から自力で脱出。その後も犯行グループは青酸化合物を混入した製品を店頭にばらまくなどし、森永製菓といった複数の企業に現金などを要求した。

「グリコを たべて はかばへ行こう」「けいさつの あほども え」。犯行グループは関西弁で報道機関に挑戦状を何度も送りつけ、「劇場型犯罪」という言葉を生んだ。しかし事件に象徴される「キツネ目の男」ら犯行グループの摘発には至らなかった。

誘拐事件は平成6年に時効を迎え、江崎氏は「時効の日は私にとって特別な日ではない。警察には最後まで努力してほしい」と求めた。ただ、その後も詳細を語ることなく、12年2月に全事件で時効が成立。警察庁指定事件では初めて未解決のまま捜査が終結した。

事件を模倣・便乗した食品メーカーへの恐喝事件も相次いだ。事件から30年後の26年には江崎氏宛てに現金を要求し、応じなければ商品に毒物を混入するという脅迫文を送りつけたとする恐喝未遂容疑で、男が逮捕される事件もあった。

グリコ・森永事件が社会に与えた影響は大きい。事件を機に菓子・食品業界では、商品を開封したことが分かるように包装に安全対策が施されるようになった。

なぜ事件が起きたのか、真相は今も明らかになっていない。グリコ側に何らかの落ち度があったとされる「グリコ原因説」や、「グリコ側が犯人グループと裏取引をした」との一部報道にも振り回された。江崎氏は疑惑を強く否定し、警察当局の捜査でも裏取引などを裏付ける資料や証言は確認されなかった。