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毎日新聞 2022/2/15 17:00(最終更新 2/15 18:19) 482文字




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顕彰碑に献花し、殉職した警察官2人の冥福を祈る警視庁の高山祐輔警備1課長=長野県軽井沢町で2022年2月15日午後1時20分、斎藤文太郎撮影

 1972年2月19日から10日間にわたり連合赤軍が長野県軽井沢町の「あさま山荘」に立てこもった事件から50年となるのを前に、警視庁の高山祐輔警備1課長が15日、現場から約2キロ離れた顕彰碑「治安の礎」を訪れ、殉職した警察官2人の冥福を祈った。高山課長は「2人の遺志を我々後輩がしっかり受け継ぎ、国民の安全安心のために尽くしていこうという思いを新たにした」と述べた。

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殉職した警察官2人の冥福を祈り、献花する警視庁の高山祐輔警備1課長=長野県軽井沢町で2022年2月15日午後1時20分、斎藤文太郎撮影

 事件では72年2月19日、武装闘争による共産主義革命を掲げた連合赤軍のメンバー5人があさま山荘の管理人の妻を人質に立てこもった。警視庁と長野県警の部隊がクレーンにつり下げた巨大な鉄球で外壁を壊した10日目の同28日、強行突入して銃撃戦となり、人質を救出したが、警視庁の内田尚孝警視(当時47歳)=警視長に2階級特進=と高見繁光警部(同42歳)=警視正に2階級特進=が死亡した。事件では、他に山荘に近づいた一般市民の男性1人も撃たれて亡くなった。



 連合赤軍メンバーの逮捕後、仲間計14人をリンチなどの末に死亡させていたことが発覚し、学生運動や新左翼運動が退潮へ向かうきっかけとなった。【斎藤文太郎】