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プーチンの大罪 民間人20万人を殺害「清掃作戦」再び
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b2615
安倍さんは首相時代、従来の『4島返還』要求を『2島返還』に後退させています。プーチン大統領と27回も面会を重ねファーストネームで
 無差別攻撃や拷問、非人道的兵器の濫用といった“戦争犯罪”は、これまで繰り返されてきたプーチンの大罪の最たるものだ。
 プーチン首相時代の1999年に開戦した「第二次チェチェン紛争」について産経新聞元モスクワ支局長の遠藤良介氏が解説する。
「ロシア連邦最南部に位置し、イスラム教スンニ派が主流のチェチェン共和国とは、帝政ロシア時代から統治権を巡り血で血を洗う争い
が続いてきました。チェチェンの歴史とは、ロシアとの戦いの歴史といっても過言ではありません」
 91年、ソ連崩壊を受け独立を宣言したチェチェンに対し、エリツィン大統領は武力制圧を図るも失敗(第一次チェチェン紛争)し、
独立派軍閥の台頭を許した。その後、当時ロシアで相次いでいた爆破テロをチェチェン人の犯行と断定し、紛争再開の火蓋を切った
のが46歳だったプーチン首相、その人である。
 そこでは多くの民間人が非道なロシア兵の犠牲になった。
例えば、2000年3月には18歳の少女が蹂躙された様子を英ガーディアン紙がこう報じている。
「ユーリー・ブダノフ大佐は酒に酔った勢いで、装甲兵員輸送車で民家に突入し、少女を引きずり出した。自分の部屋に連れ帰ると
大音量でロック音楽を流しながら彼女をレイプし、拷問したあげく絞殺して部下に死体を埋めさせた」
 00年6月にプーチンが力業で傀儡政権を樹立。05年のアルジャジーラの報道などから試算すると、
第二次チェチェン紛争で、少なくとも20万人の民間人が殺害されている。
「地球上で最も破壊された都市」と国連が表現したチェチェンの首都・グロズヌイでは、無差別絨毯爆撃、強制収容所への拉致と拷問、
レイプ、真空爆弾やクラスター爆弾など非人道的兵器の使用が常態化した。
「第二次チェチェン紛争の凄惨さは、第一次とは比較にならないものだった」
 前出の遠藤氏はある時、チェチェン人からこう聞かされたという。
「そこでは、ロシア語でザチーストカ(掃除の意)と言われる“清掃作戦”が行われました。まるで一部屋ごとに掃除をするように、居住地域を
一街区ごとに封鎖し、ゲリラや協力者を炙り出すために男性を強制収容所に拉致し、拷問し殺害する残虐行為が繰り返されていたそうです」

「プーチン政権下で暗殺されたのは“一線を越えた人たち”です。一線とは何かと言えば、プーチンの私生活、蓄財、
そしてもう一つがチェチェン問題なのです」(前出・遠藤氏)
 事実、消された6名の記者の大半が、チェチェンに関する取材に携わっていた。
「ロシア軍によるチェチェンでの虐殺の実態や、そもそもの引き金となったアパート連続爆破テロがプーチン政権の“自作自演”なのでは
ないかという疑惑。そうした問題点に追及の手を止めなかった人たちが次々に殺されています。こうした暗殺事件の中には(前出の)
カディロフ首長率いる特殊部隊の関与が疑われるものもあります。チェチェン問題は今もプーチン政権の“火薬庫”であり、
いつ何時、爆発するとも限らない危うさを常に孕んでいます」(同前)