【釜山・具志堅聡】9日投開票の韓国大統領選は、少子化対策が重要な政策課題だ。文在寅(ムン・ジェイン)政権は女性の権利向上を目指したが、社会には家父長制の名残があり、むしろ結婚や出産に二の足を踏む女性が増えて出生率は世界最低水準に落ち込んだ。若年男性には「現政権は女性を優遇しすぎ」との反発も生まれ、世代間や男女間の価値観の分断が選挙戦術にも影響を及ぼしている。

 2020年6月、独身女性の金敏貴(キム・ミングィ)さん(42)は、ソウルの病院で卵子の凍結保存をする処置を受けた。全身麻酔から覚め、無事20個の卵子を採取したと聞かされた。「強くならなければいけないと感じた。そして、私の生涯で一番寂しい瞬間だった」と振り返る。

 金さんは釜山出身。ソウルの有名大を卒業後、民間企業を経て衛生用品などを企画、販売する個人事業を営む。友人の勧めもあり、40歳の年に卵子の凍結保存を決めた。「結婚はしなくていいが、いずれ子どもが欲しい」。金さんの決断に父は無関心で、母は「なぜそんなことをするの。結婚しなさい」と言った。

 韓国の女性1人が生涯に産む子の推定数を示す合計特殊出生率は21年に0・81と過去最低を更新した。経済協力開発機構(OECD)加盟国で1を切ったのは韓国だけ。一方で増えているのが、金さんのような女性だ。韓国紙によると、ある医療機関で卵子を凍結保存した未婚女性は10年の14人から19年に493人へと35倍に増えた。

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 「結婚したら夫の家の奴隷になり自分の人生がなくなる」と金さん。儒教に根ざす家父長意識から、育児は妻の役目との風潮が残る。夫や子の世話、夫の親との付き合いで心身をすり減らす女性を多く見てきた。

 男女格差は数字に表れている。男女の賃金格差はOECD加盟国の平均11・6%に対し、韓国は最高の31・5%。企業は女性社員の結婚や出産を経営上の「リスク」と考え、男性を多く採用するという。出産で退職する女性が少なくない。

 「82年生まれ、キム・ジヨン」。16年発売の同書は、韓国女性の生きづらさを描き、ベストセラーになった。17年には女性の雇用拡大や育児休職制度の改善を訴え「フェミニスト大統領になる」と宣言した文大統領が就任。金さんも大いに期待を寄せた。しかし−。

 文政権下、出生率の低下に拍車が掛かった。女性たちのジェンダー平等意識の広がりに対し、社会全体の意識変化が追いつかない。受験競争の激化に伴う教育費や住宅価格の高騰も結婚や出産を困難にした。さらに、積極的な女性政策を訴えた革新系与党の首長らのセクハラ事件が相次ぎ、失望感が広がった。

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 就職難が続く若年男性も現政権の女性政策に反発。男性は約1年半の兵役を経て就職活動をするため、女性らに出遅れ感を抱きがちだ。女性の兵役義務化を求める大統領府への請願には約29万人が賛同した。

 大統領選で保守系野党候補は、ジェンダー平等を担当する女性家族省の廃止を訴える。若年男性の支持を得たいのだろう。「児童手当の支給対象を拡大」「子を産んだ夫妻に1200万ウォン(約115万円)を支給」。与野党両候補とも少子化対策を訴えるが、ばらまき批判がつきまとう。

 「論戦は票集めのショーみたい。上の世代がいる限り変わらないのかな」。革新系政権に失望しつつも、保守政権へ回帰して男性目線の政治が復権するのも勘弁してほしい。投票を約1週間後に控え、金さんは考え込んでしまう。

西日本新聞me 2022年3月3日(木)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/884819/