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統一教会は信者獲得のためではなかった……宗教団体がわざわざ政治に接近する理由
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/08100631/
――昭和の妖怪・岸、右翼のドンと呼ばれた笹川は、文鮮明が創立した反共主義の政治団体・国際勝共連合で結びついたと報じられている。だが、それだけではない。
小川:1960~70年代、日本では左翼系の学生運動が盛んでした。これに対抗したのが保守派の全国学生自治体連絡協議会(全国学協)という組織です。
中心となったのが生長の家の学生組織・生長の家学生会全国総連合であり、それと共闘したのが原理研究会でした。

――原理研究会といえば、統一教会が大学生を勧誘するための関連団体である。それが生長の家と繋がりを持っていたというのは意外だ。
小川:生長の家の古い信者に話を聞くと、統一教会とは非常に親しかったと言うんです。今でこそ、世間で右翼的な発言をする人は少なくありませんが、
左翼運動が盛んな頃にそうした発言をする人はほとんどいませんでした。ですから、例えば大きな会場に2000人くらい人を集めなければいけないという時に、
統一教会に500人くらい動員を頼んでいたと言うのです。生長の家信者だった自民党参議院議員、玉置和郎が勝共連合の顧問に入っていたことも象徴的です。
その全国学協が流れ流れて、後の日本会議へと繋がっていったのです。
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――日本で統一教会の拡大に一役買った日本人がいる。
小川:1964年、統一教会は日本で宗教法人の認可を受けました。その時、日本の統一教会初代会長に就任したのが久保木修己という人でした。
この人は、岸信介の前でも動じることなく、カリスマ的な存在感があったそうです。国際勝共連合の初代会長も務めました。ところが、この人、元々は立正佼成会
の幹部だったんです。

――期せずして、アンチ創価学会の生長の家と立正佼成会が、ここでまたつながった。
小川:統一教会は、冷戦時代は反共で政治に関わろうとしていたと思います。しかし、今となっては、純粋な目的で政治に関わろうとは思っていないのではないかと思います。
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小川:「芸能人や政治家が宗教団体の広告塔になる」という言葉をよく聞きます。広告塔というと、教団が新たな信者を勧誘する際のサポート役のようなイメージ
でしょう。しかし、今の広告塔は内向きで、すでに入会した信者に疑問を持たせないために必要なのです。...
むしろ、飛び込みの勧誘は、度胸を付けるためと言われています。追い返されて泣きながら教会に帰ると、むしろ褒められ、益々離れられなくなるといいます。...
小川:ですから今となっては、統一教会は、宗教の教義をもって世の中を良くするとか、人間の完成を目指すといったことではなく、ただお金を信者から
巻き上げるために活動している集団との認識が妥当なのではないかと思います。そのために、政治家が必要だったのです。政治家との縁が切れないように選挙を手伝っているとしか思えません。