0001少考さん ★ [US]
2022/10/10(月) 12:20:47.01ID:vWsQBeN59https://finders.me/articles.php?id=3403
【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(35)
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
2ch創設者のひろゆき氏が、沖縄県辺野古の米軍基地への座り込み抗議グループを茶化すようなことをした、という話が物議を醸しています。
これを機会に何か議論が進んだりするのかな?と思ったのですが、ひろゆき氏本人が出ているABEMA Primeでの討論を見ていると、全編の半分以上にわたって「座り込みというのは24時間そこにいなくても座り込みと呼べるのかどうか?」というような言葉の定義の問題を延々と押し問答しており、なんじゃこりゃ?と思ってしまいました。
https://youtu.be/lAHR4r-9ZsE
確かに、この番組における議論があまり生産的なものにならないのは、最初から最後まである種のイチャモンに終始するひろゆき氏の方に問題があるからだとは思います。
しかし、見方を変えれば普段全くこの問題に興味がない一般層への興味を惹くきっかけをひろゆき氏が作ってくれたとも言える状況の中で、SNSの政治談義では結局何十年と続いてきた代わり映えしない紋切り型の感情のぶつけあいを、しかもほとんどの場合“論敵側”にすら面と向かって言わずに「陣営の内側」とだけワイワイと話して終わるというのも、それはそれでどうなんだと多くの人が思っているのではないでしょうか。
座り込み抗議をしている人たちにシンパシーを感じるタイプの人は別に今更何かを聞いたり議論したりしなくても意見は一切変わらないでしょうし、逆に普天間基地の代替施設は辺野古しかないと考えている人が今回の一件で意見を変えることも決してないでしょう。
問題は国民の大多数を占めていると思われる「現状特に意見はない層」ですが、今回の件をそういう層にリーチして意見を変えさせるような機会にできているかというと、これは「どちらの党派」の人も成功しているとは言えないように思います。
基地の問題にしても、他の議題についてもそうなのですが、今の日本が抱える問題が散発的に世間の議題に上がっては、「決して交わることのないいつもの党派的罵り合い」をするだけで終わる…というパターンを脱却する方法について、私たちはそろそろ真剣に考えなくてはいけないのではないでしょうか?
別の例として、先月末に安倍元首相の国葬があった日、ネット論客の御田寺圭(通称:白饅頭)氏が、
“
日本政治を考え意見を表明するにあたって、「安倍VS反安倍」の構図に当てはめていればよかった時代は終わり、我々は“アベ”から卒業しなくてはならない
”
…というような趣旨の記事を書いていました
https://gendai.media/articles/-/100219
その通りだと思う人もいれば、「いやいや何を言ってるんだ、まだまだこれからだろ?モリカケ桜、そして統一教会問題を追求しきることこそが今の日本の最重要課題なのだ!」と思う人もいるかもしれません。
ただ、「安倍VS反安倍からの卒業」と言っているのは比較的保守派寄りと見られるネット論客の白饅頭氏だけではありません。
国葬当日の夜の「報道ステーション」を見ていたらテレビ朝日の報道記者の女性がほぼ同じことを言っていて、「安倍vs反安倍構図からの卒業」と、「何かその先の問題設定が必要なのではないか?」という感覚は、右とか左とかの立場を超えてわかっている人はわかっている情勢になってはいるのだと思います。
では、どうすれば私たちは「いつもの党派的罵り合い」ではない議論というものが可能になるのでしょうか?
1:Z世代的「コスパ」合理主義が、旧来の紋切り型の政治議論を超える未来?
そういう「旧世代型の紋切り型の政治議論」を乗り越えていくためのヒントとして、私は最近「Z世代」と言われる若い世代の非常に合理的なコスパ志向的なものに可能性を感じています
(略)
※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。